織田信長公は、比叡山を焼き打ちしたが、それ以前にも比叡山は焼かれていた。

足利義教公が、比叡山を焼いたが、半分焼いたぐらいで坊主共が頭を下げたらしい・・・

 

足利尊氏公と織田信長公も、同じようなことをしている。

織田信長公は、目の上の瘤と成ってきた盟友徳川家康公の暗殺を企てていた。

これはフィクションではなく、イエズス会がローマへ送った報告書(公文書)に書かれているから間違いないことである。

イエズス会が知るぐらいだから、当然徳川家康公の耳にも入っていると考えるべきである。

時代劇と違って、現実の戦国時代は、インテリジェンス(スパイ)が盛んであった。

織田信長公の大躻(おおうつけ)の行動は、父信秀が病に倒れてからである。

41歳で病死である。

それも急に病に倒れたという。

その後の行動からみても毒を盛られたと思う。

尾張は、駿河遠江とは比べものにならないほど豊かであった。

現在を観てもそれは歴然である。

三河、駿河、浜松、岐阜と比べものにならない程、名古屋は大きな街である。

何故か?それは湊が有ったからである。

伊勢神宮を始め、朝廷への寄付金の額が大きかったことからも伺い知れる。

詰まり、周辺国は尾張が欲しかったのだ。

信秀は毒を盛られた事に気が付いていたから、嫡男の信長に馬鹿を装わせたのである。

信長の素質に気が付いていたからこそ、敵を欺くには先ず見方からだったのだ。

これも兵法の鉄則である。

敵の間者が、潜り込んでいたのはこの時代の常であったからだ。

恐らく父子2人だけの秘密であったに違いない。

その証拠は、信長の守り役だった平手政秀が、信長を諫めるために切腹していることからも、母や親戚一同からも馬鹿呼ばわりされていたことからも分かる。

 

話を戻すと、徳川家康公と明智光秀は、実際は時代劇以上に仲が良かったに違いないのだ。

明智光秀が後の天海僧正だという説もあるぐらいである。

信長公は、家康を京都に招いた。

家康も暗殺されることを知っているから、用心していた。

だからこそ、信長公は自軍を京都から離しておく必要があったのだ。

「俺は丸腰だから来い」と言ったはずだ。

家康を罠にはめ、夜陰に乗じて明智光秀の軍勢を今日に入れて家康を討つ算段であったが、家康・光秀連合によって信長公は討たれた。

何故分かるか?

「誰の軍だ?」

「桔梗の旗印です」

「三成か、是非もなし」

これは、信長公と森乱丸(時代劇では森蘭丸と書いてあるが、当時の資料には森乱丸とあるそうだ)との有名な会話である。

何故、最後の言葉が残っているのか?不思議であるが、実は信長公の小姓に弥助という者が居て、これが黒人であったため、光秀方殺さずにイエズス会へ行かせたと記録にある。

この弥助が一部始終を聞いていたから、我々は知ることが出来ているのだ。

しかし、それには続きがあった。

「今思えば、この事態を招いたのは余自身であった」である。

これをどう取るのが自然か?

因みに、実際の信長公と光秀は、他の家臣が羨むほど仲が良く、殴る蹴るは無かったという。

自ら招き入れた軍勢に討たれてしまったのであった。

 

室町幕府は開幕してまもなく、試練が訪れる。

尊氏は政から手を引き、弟直義に実権を任せてしまう。

直義の政は、幕府の要職を親類縁者で固めた。

尊氏は、これでは北条と同じで、数多の武士が納得しないと注意したが、直義は聞き入れずに兄弟は不仲になっていった。

そんな折、高師直兄弟が武力放棄した。

その軍勢の多さに驚いた直義は、尊氏亭に逃げ込んだが、師直は5万の軍勢で尊氏亭を取り囲んだ。

しかし、これは全て尊氏の作戦で、師直の指揮する軍勢に自分の館を取り囲ませたのだ。

 

1万5千の軍勢に囲まれて討ち死にした織田信長公、5万の軍勢に囲まれても裏切られなかった足利尊氏公。

この差は何だ?と考えた。

 

明智光秀は美濃の明智荘の郷氏で、土岐氏の家臣であった。

余談ではあるが、土岐氏は室町時代は有力守護大名であった、足利義満に「てめえ、生意気なんだよ」とイチャンモン付けれて、フルボコにされた過去があった。

その後、美濃を斎藤道三に取られてから斉藤家に仕えたが、道三と息子義龍との争いで道三方に付いたので、明智家が壊滅したらしい。

その後何家かの大名家を転々として、織田信長公に拾われたのだ。

一方の高師直は、天武天皇の御子長屋親王(教科書等では長屋王と書いてあるが、当時の木簡には長屋親王と書かれていた)の子孫であるらしい。

鎌倉時代には足利家執事として、足利家を切り盛りする家人となっていた。

足利貞氏が嫡男高氏に家督を譲る際に、高師直も父師重から家督相続した。

一代の家人か、先祖代々の家人かによって、やはり忠誠心は変わってくると思う。

 

やはり、肝心なのは古今東西、人間関係である。

この点を比べただけでも面白いではないか?