太平記の時代を理解すると、戦国時代から江戸時代が面白くなる。
実は室町幕府設立からヤバかったのだ。
何がヤバいかとうと、直ぐに戦であった。
室町の守護大名の争いが、沈静化して大人しくなったのが戦国時代であった・・・
日本の中の守護大名等が争ったため、疲弊していってその家来筋が力を付けてきた時代が戦国時代と言えるのだ。
我々の知っている忠臣蔵の元ネタである"仮名手本忠臣蔵"は、足利尊氏の弟である足利直義が、鎌倉へ下向したときの話である。
"忠臣蔵"と言う話は、元禄14年弥生14日(1701年4月17日)に起きた赤穂事件を題材として浄瑠璃や歌舞伎にした創作である。
当然、当時は本当の当事者を使うわけに行かなかったので、室町時代の話としたのだ。
考えてみても、"必殺仕事人"を現代劇として作れないのと同じである。
悪いことをしている自民党の党三役を、中村主水に当たる警視庁の職員が殺しに行くのね・・・
そのネタを江戸時代の設定としたが、全てはフィクションであるのと同じに、仮名手本忠臣蔵も大まかな流れは同じでも殆ど創作である。
左兵衛督直義(足利尊氏の弟で幕府政所)が、尊氏の名代で鎌倉の鶴岡八幡宮参拝に来る。
高武蔵野守師直(足利家執事で高慢な女好き)
桃井若狭助安近(直義の饗応接待役)
塩冶判官高定(同じく饗応接待役)
ここで、桃井が師直に侮辱されたことに腹を立て、自分の家老に「切る」と相談した所、家老がなだめてさらに師直に賄賂を送り事なきを得たが、塩冶判官の妻かほよ御前は美女で、師直が懸想しがつれなくされた事を根に持ち、殿中で塩冶判官をなじると、塩冶判官が師直を切りつけたのがざっくりの話である。
この後、塩冶判官の家老大星由良助以下47人が高師直を倒す話である。
史実は師直は殺されていなから創作であることがわかる。
ここで塩冶判官の塩が、赤穂の塩、高師直の高が裏高家衆肝煎を指していると言うが、重要なことは最後に「武蔵野守、覚えたか」と大星由良助が叫んで師直を刺すのである。
この"武蔵野守"が重要なキーワードである!!!
江戸時代、大名諸侯は、勝手に官位を名乗れないが、それ以外は渾名的に名乗っていた。
○○讃岐とか、中山備前とか言う具合である。
しかし、誰も名乗らなかったのが、"武蔵野守"であった。
何故?
それは日本を統治していた公方様が、武蔵国に住んでいたからであった。
江戸城は武蔵国であるが、隅田川を渡れば上総国であった。
だから、国技館のある場所は両国、これは武蔵国と上総国に掛かっている橋だから両国橋と言ったのだ。
だから、武蔵野守と言えば、上様を想像するのだが、実際の上様はそんな格下の役職など貰っていない。
征夷大将軍の役職ですら、他のに比べれば低い。
宣下の折、正二位内大臣兼右近衛大将である。
近衛大将と征夷大将軍とどちらが格上かは明らかだ・・・
この中に武蔵野守は無い。
だから、作者は芝居の中で"御上殺し"をしたのである。
幕府も時代が違うし、実在の人物だから罰しようが無かったのだ・・・
正に、"上に政策有れば下に対策あり"なのである。
戦国時代に織田信長公の的は、尾張の守護斯波氏や、大津から伊賀辺りにいた六角氏らがだが、これも室町時代の有力大名家であった。
前回書いた佐々木道誉の一門である。
佐々木家の宗家は六角氏だったという・・・
上杉家も足利尊氏母君の実家であった。
その繋がりで関東管領職であった。
美濃の土岐氏も室町時代の名門であった。
三河の吉良に今川、尾張の土岐は足利一門であった。
これだけでも戦国時代の主役級である。
太平記を知れば、戦国時代も面白いのである。
つづく