群馬県って田舎のイメージがあったが、実は凄いと最近思っている。
昔は上野国である。
吉良上野介の“コウズケ”である。
隣の栃木県は下野国である。
この国境線が天下人を出しているのだ。
そんじょそこらの総理大臣とか言う小者ではなく、正真正銘の天下人である。
一つは足利氏である。
現在の栃木県足利市に足利学校が残っている。
そして、渡良瀬川を隔てて群馬県徳川市がある。
そう、いわずと知れた徳川家発祥の地である。
山岡荘八の“徳川家康”では、三河大名松平家の嫡男竹千代が、松平元康となり、徳川家康となっている。
それは小説の話して、実際は世良田元信と言って、新田家の家系であると言う。
素直に、日本人として考えて欲しい。
もし、松平元康=徳川家康と苗字を変えたのか⁉️
貴方は変えますか⁉️
女性は結婚して苗字が変わるが、家を継ぐ男性が苗字を変えるのは、養子に入ったとか、天皇陛下から苗字を賜ったとか意外に変えますか⁉️
現在でも変えないのに、家制度が厳しかった400年以上昔に変えますか⁉️
それも家紋まで‼️
今の群馬県に徳川郷があった。現在は徳川市である。
地名まであれば間違いない。
私の苗字は日本では珍しいと言われが、地名もあって、小さいながら神社まである。
私の先祖は、そこで朝倉家の家臣だったと思われる。
そして織田信長公に攻められ、越後へと逃れた。
珍しい苗字で地名があれば、先ずそこの出で間違いない。
徳川家康公が晩年、家臣たちと呑んでいて、程よく酔われた神君公が「実は家は新田の家系だ」と言われた事を同席した家臣が日記に書いている。
しかし、馬鹿な学者どもは「経歴詐称だ」と言う。
学者が馬鹿なのは、“武士”を理解していない。
武士は武運を大切にする。
どうせ系図を詐称するなら、「足利尊氏の〜」と勝った側にするはずだ。
“負けた側の家”と言った事に真実が隠されている筈だ。
もう一つ、『主君が入れ替わったら家臣が黙ってない』との意見もある。
しかし、竹千代は小さい頃に人質となったため、三河の家臣は大人になった顔を知らなかった。
駿府に同席した数名は知っていたが、おそらく桶狭間の合戦中に戦死したと思う。
もし、主君が死んだら、松平家はどうなる?
主従は運命共同体である。
松平家の崩壊は、自分達の崩壊にも繋がるから、優秀な人を主君にした方が自分らも助かるのだ。
江戸時代、奥方が男子に恵まれなかったら、奥方自身が愛人を主人に勧めたのだ。
なぜ?
家が改易になったら、自分も路頭に迷うからである。
為さぬ中でも、家さえ存続すれば不自由の生活が保証されたからだ。
主君の顔を知らない三河武士団に、家老連中が土下座をすれば皆これに従い、世良田元信が松平元康に入れ替われたのだ。
ただ、それを受け入れない者がいた。
奥方の築山御前であった。
だから、松平元康と築山御前との間に生まれた徳川信康と築山御前を殺せたのだ。
家老連中も家の為には、信康らを排除するのが得策と考えたに違いない。
もう一つ、松平元康の父広忠、祖父清康ともに家臣に暗殺されている。
前にも書いたが、“兵法は詭道なり”で、ようは騙し合いなのだ。
家臣の中に敵に通じている輩もいる。
今の日本の政治家を見れば分かるはずだ。
日本の政治家なのに、支那や朝鮮の為に働いている奴らが実に多いではないか‼️
家臣の不満は勝ち続けていれば解消されるのだ。
三河武士団が、世良田元信を主君に選んだことが大正解であった事は、歴史が証明している。
因みに、群馬県の世良田に、世良田東照宮がある。
ここの御社は、実は徳川秀忠公が、神君公の為に日光東照宮に建てたものを移築したものである。
何故、オリジナルの御社を移築したのか⁉️
ここにもこの事が本当である証拠と思っている。
そして更に、世良田東照宮は、新田義貞公のお屋敷跡に建てられている。
是非、日光東照宮へ行かれる前に、世良田東照宮へ行かれる事をお勧めする。
凄く良い所で、葵の葉も植わっている。
我が家の菩提寺は、浄土寺で赤坂にある。
この寺は増上寺の下部寺であって主に祀られているのは、徳川家康公以前の松平家の菩提寺でもあると聞いた。
墓地は大正時代に廃仏毀釈の煽りで、墓地を売って墓地は武蔵小山に移転している。
その中央奥に松平のお墓がある。
家紋は三つ葉葵ではない。
三つ葉葵は、世良田元信が作った家紋であると言う。
元来の葵の家紋は、立葵である。
世良田東照宮で生きた葵の葉を見た時、不思議な気分になったのを覚えている。
天下人二家も輩出している上野、下野国境って凄いとは思いませんか⁉️
春が来たら、ふらりと言ってみると、歴史の目撃者になった気分を味わうのもおつであろう。