NHKで1993年に放映された大河ドラマ“炎立つ”をじっくりと観た。
これは前九年の役から、鎌倉幕府によって奥州藤原が滅ぶまでの150年位を描いる。

その最終回を観て“絶句”である。
何と藤原泰衡は、戦火から奥州文化を守るために平泉から出奔してしまうのだ‼️

こんな無責任で良いのか⁉️
戦をしないのであればそれはよいが、民を守る為には、源頼朝と直接話し合わなければならないはず。

劇中でも、民と文化を守る為に王座を明け渡した人間が有史以来いたか⁉️これは崇高なる行為だ。
と言っている。
馬鹿も休み休み言って欲しい。

文化、平和は強大なる武力あってこそのものであり、それを持たなかった為にどれだけの文化が死に絶えてきたのか⁉️

ヨーロッパや支那を旅行したことがあればお分かりだと思うが、町が城壁の中にある。
日本は城は城壁の中だが、町は無防備である。
何故か⁉️
王や領主が戦に負けて、敵兵が町にやって来たら、皆殺しになるからである‼️
チンギスハーンで有名なモンゴル軍は、男と子供は皆殺しにして、女は生け捕って、モンゴル人がレイプして自分たちの子供を孕らせるのである。
父母、夫の仇の子供を育てる女性の憂い顔を見ることが、至福だと読んだ事がある。

日本は、敵の民でも、占領すればこちらの民となり、納税するのだから、大切にした。

事実、頼朝は平泉を温存している。
だからこそ、我々は今でも中尊寺の金色堂を観ることが出来るのだ。

劇中の藤原泰衡は、源頼朝が平泉壊滅作戦を展開しない事を確かめる必要があった。
「俘囚の地であれば、何をしてもよい。俘囚は人にあらず」である。
桓武天皇は、穢れを嫌ったため、朝廷軍を解散してしまった。
穢れは、怨霊、祟りを呼ぶのである。
我々の日常生活にも、穢れ思想は脈々と受け継がれている。
皆さんも、マイ茶碗、マイお碗、マイ箸をお持ちと思う。
家族でも自分以外に使われたり使ったりしたら、嫌な気分になるはずだ。

だから、皇族や貴族は人を殺さないのである。
『穢れた仕事は、武士にやらせればよい』これが、平安後期の考え方であった。
江戸時代には、「武士こそが人間」となり、それ以外は人にあらずであったが、この考え方が良い方に動いた。
だからこそ、「民百姓を守り、彼らの手本と成らなければならい」となった。
人の上に立ったら襟を正せであるが、バブル以降、それが無くなったため、現在の日本のダメぶりとなった。
時代劇を観ていると、「中間」という奴が出てくる。
武士の荷物を持ったり、身の回りの世話をする人たちだが、何故“中間”というと、民百姓と武士の間という意味らしい。

では、坂上田村麻呂はどうなの?となる。
彼は公卿であったが、征夷大将軍としてアテルイ討伐に、今の仙台辺りまで行って、多賀城を築いた。
蝦夷や俘囚と言って、朝廷は彼らを人と見ていないから、討伐しても穢れないと考えていたようだ。

武士もやはり敵から祟られるのは嫌だと思うらしく、敵地の寺院は破壊しない。
だから、源頼朝軍も中尊寺を温存した。

まあ、鎌倉幕府にしてみれば、日本六十余州全てを統治する必要があった。
支那大陸の様に、南宋があって金があって蒙古が同時に存在すると言うことはないし、理解できない。
相模辺りに鎌倉幕府があって、京に足利幕府が同時に存在しているとこと同じである。

「頼朝軍が、白河の関を越えた」と聞いて、家臣や民を捨てて北へ逃げる藤原泰衡を見ていると、正に今の日本政府を見ている様だ。
日本国民の生命と財産よりも、在日を優先させていたり、桜の花見の事を延々と国会で審議?というより日本を亡国へ導いている気がしてならない。
支那の武漢で肺炎がパンデミックしているのに、呑気な日本政府。
春節で支那人が大挙して、日本に押し寄せてくるのに、自己申告で入国させるって、まったく脳天気である。
ただですら嘘つきな奴らに、自己申告って、泥棒に留守番を頼む様なものであろう。

皆さん、十分に気を付けてください。