令和二年が明けた。
今年は東京オリンピックがあるが、金塗れの汚れたオリンピックなど、預言者と呼ばれている松原照子女史の予言通りにスキップしてしまえ‼️と思っている。
ここロサンゼルスも令和10年にオリンピックが開催されるが、スタジアムは昭和7年当時のものを使う。
色々な競技の聖地国立競技場を取り壊して、新国立競技場って、神聖さがないではないか⁉️
それと、木造を多用しているが、高温多湿の東京では数年しか保たないし、改修費がバカ高くなることを国民は知っているのか⁉️
現代建築の木造と宮大工が造る木造とでは、別物である。
宮大工の造る木造建築物は、1000年は平気で保つが現代建築では数年で木が腐るのだ。


さて、新年恒例のLA downtownのお寺へいってきた。
浄土宗であるが、日本と違うのは、全員参加でお経を読むのである。
「南無阿弥陀」を10回唱えるときに、お坊さんが「声が小さいです。阿弥陀如来様に聞こえません‼️やり直し」と言った。
何で「南無阿弥陀」と唱えると極楽浄土へ行けるのか⁉️と思ったら、阿弥陀様が解脱される際に「私は南無阿弥陀を唱える全ての人々を救済する」と誓いを立てられ仏になられたと言うのだ。
お坊さんの法要の後の御説法が私は好きだ。
今回は仏の前で合掌するが、これは仏の前では我々は無防備で全てを曝け出すことを意味していると言う。
「念仏を唱える」と言うが、この“念”の字である‼️
念は、今の心と書く。
詰まり、飾らずに構えず、準備せずに、今のままの自分を曝け出して仏にすがると言う意味だ。

「蜘蛛の糸」の話をご存知か?
お釈迦様が地獄を覗いてみたら、放火や殺人の大罪人のカンダタを見付けられた。
カンダタは生前一つ良いことをしていたので、お釈迦様は浄土に上げてやろうと、蜘蛛の糸を地獄に垂らした。
まあ、オチは書かないが、地獄にいて蜘蛛の糸を掴むか掴まないかは、個人の意思である。
『月影の至らぬ里は無けれども眺むる人の心にぞすむ』
これは法然聖人が詠まれた詠である。
月の光が届かない所はないが、その月を見るかどうかはその人次第との事である。
阿弥陀如来様は「南無阿弥陀」と唱えれば、極楽浄土へ救うと仰っているが、それすら唱えない輩がいる。
「天は自らを助る者を助ける」である。
何もしない奴らは、地獄落ちなのだ。

人生山あり谷ありであるが、いつでも一生懸命に生きる姿勢が、大切なのだ。
幸せか不幸かは個人の感じ方であるし、成功者、失敗者は命尽きるその時まで分からないのだ。

分かっているのは、今を精一杯生きる事である。

これを今年の抱負としようと思った。