先日、TBSチャンネルで三田佳子主演の"愛に燃える戦国女"を観た。

原作が司馬遼太郎であったが、私は司馬遼太郎が嫌いであるというより、可愛そうである。

何故なら戦国時代を理解していなかったと思うからである。

 

この物語の主人公は"おふく"である。

おふくと言えば大猷院の乳母で後の春日局の方が有名である。

因みに大猷院とは徳川家光公の戒名であるが、江戸時代は大猷院とか大猷院様と呼ばれていた。

家光様と呼んだから首が飛んだことを忘れてはならない。

今でも我々は名前を呼び捨てにすることはしないのは、昔からの名残で、名前を呼ぶのは両親を初め目上の人であった。

女性の場合、伴侶からは呼ばれるが、それ以外は大抵は"あだ名"で呼ぶはずである。

武家ならば備中とか帯刀とか、主水と言ったように呼ばれた。

何故、本名を呼ばないか?

それは呪詛される恐れがあるからだと私は思っている。

今でも、他人に呪いを掛ける場合、生年月日(生まれた時間が分かれば尚更)と本名で呪詛するからである。

だから、織田信長公も徳川家康公も本当の生年月日は隠すのである。

更に、生年月日が分かると、天中殺も計算されてしまうから、お家の一大事となる。

天中殺とは12年に2年間誰もが持つ年回りで、この2年間は新しいことを初めてはならず、大人しくやり過ごすべき時期のことである。

だから、古今東西城を建設する場合、人柱を埋めるのも"仮の城主"として生け贄を埋めてしまったと考えられる。

 

さて、この物語のおふくは、美作の国の城主三浦家の奥方の事である。

若くして城が落城した所から物語が始まるのだが、これが実に女々しい。

戦国乱世の女は、男以上にタフであった筈で、宇喜多直家に拾われるのだが、「二夫にまみえない」って明治以降でもないのだから、再婚など当然の世の中であった。

「戦いのない平和な世」って言うけど、生まれたときから戦っているのだから、「平和=?」の筈である。

それに、戦国時代だって1年365日戦っているわけでもない。

織田信長公にしても、2時間ドラマで観れば戦ばかりだが、公の人生からすれば戦いばかりではなかった。

 

それと意味不明なのが、この宇喜多直家という戦国大名だが、劇中、彼は術中をもって領土を広げたと蔑んで表現されていた。

「毒をもって城を一つ手に入れ・・・」と言う具合であったが、これが司馬遼太郎が書いていたとすれば、とんだ馬鹿ちんであるし、もし彼でなければプロデューサーの石井ふく子か脚本家が頭がおかしいとしか思えない。

もし、我々が家臣だとしたら、戦をせずに領土を広げる主君は、大歓迎ではないか???

良い将軍とは、戦いが終わって多くの将兵が生き残こることのできる人だと思う。

それからすると、乃木希典は当代きっての大馬鹿者である。

二〇三高知でどれ程の日本兵を死なせたのか?

数万人の将兵が無駄死にさせられたのだ・・・

明治天皇崩御で切腹など当たり前の話である。

 

宇喜多直家は最終的には、羽柴筑前守の前に臣下の礼を取ったのであった。

 

この時代の羽柴筑前守といえば、中国大返しであるが、これは備中高松城から姫路城まで約200㎞を10日で軍団が移動したが、昨今の歴史学者等からは、これは有り得ない速度だという声も多い。

しかし、考えて欲しい。

秀吉自身も、彼の将兵にしてもこれは一生に一度来るか来ないかの千載一遇のチャンスであった。

自分の殿様が天下人になれば、俺等も大名になるかも!!!!の欲が未曾有の踏破を成功させたに違いない。

宝くじが当たる所の騒ぎではない。

今で言えば県や郡が貰えるという規模の話である。

心も身体も軽かったに違いない。

 

結局ふくは、秀吉の側室となり、大阪城で暮らすようになったという。

彼女と宇喜多直家の子が宇喜多秀家である。

人を愛するのに時代は関係ないだろうし、命が散るのが今以上にはっきりとしていた時代だからこそ、一瞬の煌めきが輝いていたと思う。

何時の時代も女性はしたたかに、強い存在であったと思う。