昨日、無事に平成の内に富良野協会病院を退院して、東京の実家に帰ってきた。
右足首の外側の傷の一部からは、まだお汁が少し出ていたが、これ以上の入院は暇を持て余して地獄であった・・・
まあ、三食昼寝つきで文句を言っては罰が当たるが、病院食にも飽きていたので、丁度良かった。
医者が言うには「本当は術後1週間は居て欲しかったですが、まあ術後5日なので・・・」であった。
やはり術後一週間が一つの目安であろうが、これが腕だったら直ぐに帰れとなっていたのかもしれない。
4月29日の午前9時半頃に退院して、富良野駅に向かった。
黒板五郎が、蛍を待っていそうで怖かったが・・・
帰りのコースは、富良野から根室本線で滝川にでて、滝川から函館本線で札幌→新千歳空港を考えた。
当初の甘々計画では、退院は26日金曜日で、そこから小樽までJRで行き小樽一泊で、次の日函館に泊まって新幹線で帰京、第二弾は、26日退院で洞爺湖温泉一泊、次の日は函館の湯の川温泉で一泊で、お昼にラッキーピエロでハンバーガーを食べて新幹線で帰京であったが、主治医から「温泉は術後10日は駄目ね」で計画頓挫であった。
又、25日の段階で「まあ、ゆっくりして行ってください」で26日退院が吹っ飛んだ!!!
28日に「明日、退院で良いですよ」と言われ有頂天になり、JRの切符や特急券や座席指定券を買いに富良野駅に行ったが、富良野駅に行ったのは実は初めてであった。
富良野自体は何度も来たことあったが、MOTORHOMEやハーレーで来ていたので、駅に来る必要が無かったからである。
その帰りに地物とのGymに寄って、上半身だけだったが筋トレもしてしまった。
やはり筋トレは気持ちが良い物で、筋肉がパンプアップするのがなんとも言えないが、その時、術後の歩行時の違和感の原因が分かったのだ。
歩くと、施術した右足の踵に妙に体重が乗っている違和感を覚えた。
この日、ダンベルを両手で持って上腕二頭筋のTrainingをしていると、右肩が異常に左肩より下がっていることに気が付いた。
私の身体は右に弓なりに傾いているのである。
右に傾いているから、右足より左足の方が短くなっているのだ。
だから、歩行時に左足より右足に体重が乗ってしまうっていたのだ。
これはカイロプラクティックに行けば、一発で直るので問題は無いし、現時点でも右足首が腫れているが、これもカイロプラクティックで治る。
さて、28日の夜は、退院できる嬉しさで中々寝付けなったが、朝は5時過ぎに目が覚めた。
10:07発の列車に乗らなければならなかったので、朝から大忙しであった。
朝食を食べて直ぐにシャワーを浴び、帰り支度万端にして8:40に処置室へ行き、再議の診察を受けた。
お汁は少し出ていたが、「これ位ならね」と言うことでめでたく退院であった。
これに乗って一路滝川を目指した。
富良野を定刻に出発して、新千歳空港に着いたのは、13:12である。
約3時間かけて飛行場に着いた。
長旅であった。
無理せずに旭川空港からな1時間以上早く帰宅できた気がしたが・・・
朝ご飯を食べて以来、13時半過ぎに漸くランチであった。
もちろん、雲丹の食べ比べ丼であった。
色の濃い方が馬糞雲丹で、薄いのが紫雲丹である。
これで4200円であったが、東京ではミョウバンが入るために、雲丹が臭くなって不味いのだ。
美味しかった!!!の一言である。
そして、北海道限定のサッポロクラッシクを呑んだ!!!
娑婆に出た醍醐味であった!!!!
今朝起きて私の部屋の雨戸を開けるとビックリした。
庭の景色が一変していた。
たった一週間留守にしただけであったが、4月23日は庭の木々が冬であり、桜は散りかけて小さな若葉がちらほらであったが、30日の今朝は、桜の木は青々した葉で覆われていて、柿の木もすっかり葉が出そろっていた。
私の傷が癒えている間にも、庭木々は初夏の準備を整えていて、一面土であった地面も草草が生えてきていた。
そして、時代も平成から令和へと移るのだ。
明日から令和の幕開けであるが、一体どんな時代になるのであろうか?
なるのであろうではなく、我々がよりよい世の中を新帝陛下を中心として作っていかねばならない!!!!
頑張ろう!!!



