"北の国から"を観ていて、不思議に思ったことを考察したい。
まず、黒板五郎が、妻の浮気を見てしまい絶望に打ち拉がれて、何故か子供二人を連れて都落ちする話が、北の国からのストーリーである。
しかし、東京育ちの子供を、電気も水道も無い富良野のその又田舎の麓郷に拉致していくのは、どう見ても児童虐待である。
そもそも、親権を妻令子が争わなかったことは、私的には不思議なことである。
いくら妻が不貞を働いたとしても、生活力はガソリンスタンドアルバイト店員の五郎より、美容室経営の令子の方があるから、家庭裁判所でも親権は令子となるはずだ。
不貞の理由も、一言「夫の甲斐性無し」である。
これならば、一層五郎はアルバイトなどしないで、家事一切を引き受けるべきで有ったと思うが・・・
さて、男盛りで何も無い麓郷に戻ったは良いが、その時の所持金が7、8万円だっというから、これは”頭がおかしい”の一言であろう・・・
物置小屋を改造して、人が住める体裁を作ったが、電気が無い。
水は皆に協力して貰って河から水を引いてきたが、東京育ちに冬の北海道が耐えられるか???である。
ここで、東京人を初めとする南関東に言っておくが、北海道人の談によると、東京の方が寒いという・・・???
これはどうしたことか?と思ったら、北海道は密閉された家にガンガンストーブを焚いているから、外は寒くても家の中は半袖で過ごせるという。
となると、富良野は北海道も寒い地域であるし、雪も降る!!!
掘っ立て小屋で隙間風が吹き込む家に、東京育ちの子供が耐えられるか?
正に児童虐待である。
私が思う一番の問題は、五郎の性処理であると思う。
男盛りの30代(恐らく、私の想像)であれば、女無しでは過ごせないと思う。
食欲、睡眠欲、性欲は人間の三大欲であり、特に、性欲はDNAに書き込まれた最重要ミッションである。
「生き物は何故生まれるのか?」という永遠の問いがあるが、答えは命を次の世代に繋ぐためである。
私が小学校3年生の頃、伊豆の下田で虫取りをしていた。
その時、交尾している蝉を見つけたが、雄蝉がなんと顔半分カマキリに食べられていたのだが、蝉は交尾を続けていた事を鮮烈に覚えていて、SEXが理解できる歳になったときに、事の重さに驚いたのものである。
己の命よりもSEXすることは大切である!!!
TVのレギュラー版では、バーの女性の"ごごみ"と付き合っていた。
が、その後こごみと疎遠になった後は、どうしていたのか?
ここで重要人物は、宮前雪子(竹下景子)の存在である。
彼女は五郎の妻の妹であり、五郎とは義理の妹に当たるわけだが、ここで、これを読んでくれている方にも考えて欲しい。
もし、男性なら五郎の気持ちに!!! 女性ならば雪子の気持ちになって欲しい。
雪子は、不倫関係に嫌気がさし東京から富良野へやって来る。
それも五郎の家に居候していた。
さて、その心は?
子供達の純と蛍も一緒に住んでいたが、子供達が学校へ行っている間は、二人きりになれる。
さて、皆さんだったらどうですか?
私ならば確実に、それも竹下景子ですよ!!!
女性の立場からだと、青大将が微妙であるが、まあ設定上五郎の家に越してるのだし、心が傷ついているし・・・
それに、雪国では冬にやることが無いから、子作りに精を出してしまう・・・
そこに親戚の北村草太(岩城滉一)が、雪子にちょっかい出してくるが、それでも雪子が靡かないのは、五郎と出来ていたと思えば、頷ける。
宮前姉妹は、"蓼食う虫も好き好き"といわれるDNAの持ち主と思えば、納得も出来る。
"北の国からの"といえば、さだまさしのハミングと共に、雄大な景色が広がり大自然の人間の融和てきな感じがするが、裏ではドロドロとした人間の本性が剥き出しになっている物語と言える。
そして、最大に気持ち悪いのが、95秘密に出てくる小沼シュウでる。
最初は純と付き合うが、どうも五郎とシュウが変な感じなのだ。
手を握るシーンでもその指の絡み等々観ているこちらが気持ち悪くなるほだし、最後は二人で雪深い露天風呂に入っていたし・・・
その関係を、気持ち悪いが想像してしまう。
さて、これらを踏まえて今一度"北の国から"を見直すと、今までとは違った世界を見ることが出来るはずである!!!
"春はあけぼの"というが、天気の悪い日には北の国からを観直してみるのはどうであろうか?