今日たまたまCATVを観ていると、里見浩太朗主演の「八百八町夢日記」をやっていた。
このドラマは昔、USAで日本のドラマTVをビデオに焼いた日系人相手のビデオ屋で借りてみていた記憶がある。
主人公は北町奉行榊原主計頭忠之が主人公で、捉えて処刑したはずの鼠小僧次郎吉を手下に使い悪を切る勧善懲悪な話である。
"松平長七郎"の後番組であったらしく、主人公が違うが内容は同じような感じである。
しかし、観ていた私は、違和感しか感じなかったのだ。
何故か?
その前に萬屋錦之介主演の"破れ傘刀舟悪人狩り"とう番組の考察が必要である。
刀舟は、千住の宿に住んでいる町医者である。
まあ、貧乏人の見方であって、悪人を斬り殺す勧善懲悪であるが、これも疑問がある。
「てめえら、人間じゃねえ!!! たたき切ってやる」が有名な台詞であるが、悪党の所へ行って皆殺しである。
悪党が武士であっても町人であっても皆殺しである。
この後に、"破れ奉行"という番組有って、主演は同じく萬屋錦之介で、深川奉行速見右近が悪党を皆殺しにする勧善懲悪であるが、これがかっこいいのだ!!!
友人の御船手奉行から日本一早い鯨船と漕ぎ手を借りて、この船で悪党の屋敷に突っ込んでいって、鯨に打ち込む銛で悪人を突き刺し、残りは刀でバッサリ!!!
では、何故同じ勧善懲悪物なのに、違和感が違うのか?
刀舟先生は、一介の医者であって、それが皆殺しにするというのは、私事になるのだ。
では、速見右近はどうかというと、深川奉行に就任するときに、老中に「悪人の切り捨て御免」を認めて欲しいと談判している。
いくら老中でも、人を殺す許可を与える法的根拠がないので、「上様にお伺いする」と言って結果を後日に回すが、後日に「切り捨て御免などならん」と老中談だが、「これを上様より下賜された」と一振りの刀を頂くが、そのはばき(刀の本体と鍔の間にある)に葵の御紋が入っていた。
これは上意で、"悪人を切ることを許す"という意味である。
刀舟は私事であるが、速見は公となる。
詰まり。刀舟は違法な殺人者であるあ、速見は合法に悪を裁いたと言える。
松平長七郎は、公方家光の弟の駿河台納言忠長の子息である。
忠長切腹、駿河台納言家断絶の後に、息子の罪が許され、大名家に取り立てると言われたが、このまま町に住みたいとだだをこねて、上様より"生涯勝手"のお墨付きを頂いたらしい・・・
そして、葵の御紋着用は許されているみたいである。
葵の御紋は、江戸時代絶対的タブーであり、その紋を勝手に使用すれば打ち首で、一族郎党全てが死罪となった。
詰まり九族の刑といって、一族皆殺しであるが、実はこれは正しい刑罰である。
罪を犯すDNAが存在している。
そのDNAを持っている人は、殺人を初め凶悪なことを起こしやすいというのは、科学的に証明されているが、罪を犯さない人もいるので、このDNAを持っているからと言って罪人とは出来ないのは現状である。
だから、水戸黄門で「えええい、これまでだ」といって御老公に斬りかかることは有り得ないのだ。
たかが代官風情の暴挙で、確実に主家が改易となってしまうし、自分の親子親戚9等親まで打ち首になってしまう・・・
それを考えると、暴れん坊将軍は変である。
上様と知って斬りかかれば、当然九族の刑であり、あれだけやれば、日本から武士がいなくなってしまう・・・
御人身の親戚で考えてみれば、どれほどの数になるかお分かりだと思う。
何百人規模になる。
長七郎は徳川家の人間で、家光公からすれば甥に当たるし、四代家綱公からは従兄弟にあたる。
この人間が葵を振りかざし悪人を切るのは、合法である。
ところが、一介の町奉行が、勝手に悪人を殺しては違法であり、越権行為で単なる殺戮者である。
やはり萬屋錦之介主演の、長崎犯科帳の主人公は、長崎奉行平松忠四郎でるが、これも長崎にはびこる悪人を切るのだが、これは奉行としての範疇であるので問題ないと思う・・・
江戸時代の方がある意味、現代よりも法治国家であったと言える。
娯楽番組をみていても、違法な殺戮には辟易してしまうのは、そこに天下の正義が無いからだと思う。
自分の正義を皆が振りかざしたら、たちまち戦国時代である。
しかし、現代日本は、法曹界の正義と、我々実生活の正義とはあまりにも乖離しすぎていると思う。
こが離れすぎると、革命に繋がることを政府の輩は分かっていない・・・
さて、皆さんは時代劇をどう楽しみますか?
