漸く、私のiMacが蘇った。

一月くらい前から、突然キーボードの"7・8・9・u・i・o・j・k・l・n・m"が打てなくなった。

5日間かけてなんとか復旧した。

結局ハードディスクを消去して、OSの再インストールをした。

しかし、タイムカプセルをしたにもかかわらず、OS上の問題で、正常になってからエラーが出て、設定はすべて自分でせねばならなく、未だに終わっていない・・・

涙目になり買い換えまで考えてしまった・・・

買い換えれば、今使っているiMacはゴミである・・・

 

「ゴミを減らしましょう」というキャッチコピーは、世の中にあふれている。

しかし、実際にゴミは減らせるのか?が問題なのだ。

何故か?

ある人にはゴミだが、別の人にはお宝である・・・

 

友人にお土産のお菓子をもらったとする。

お土産は無論、有り難いし、家に帰って美味しくいただくが、その包装紙は破いた時点でゴミであるし、お菓子を包んでいるビニールもゴミとなる。

今日、ハーレー店で見かけたのだが、この段ボールにハーレーが入っている。

アメリカのウィスコンシン州ミルウォーキーから、段ボールに入って、日本にやってくるのだ。

そして、トラックで運ばれてくる。

自分の買ったハーレーなら尚更、これを開ける儀式までやってくれる。

最初の固定ネジを外す儀式である。

まさにワクワクする世紀の一瞬である。

箱が外されると、何重にもビニールで覆われていて、ジュラルミンの台に乗っている。

しかし、この段ボールが外された瞬間に、その段ボールはゴミと化す。

幾重にも掛けられているビニールもゴミと化す。

ハーレーが乗っているジュラルミンの台も産業廃棄物と化すのだ。

 

そう言い換えれば、我々はゴミと共に生活しているといえる。

その「ゴミを減らせ」政府なりが言うのは国民の生活権の侵害に当たるといえる。

豊かな生活には、大量のゴミが出るのは仕方がないが、そのゴミがお宝である。

 

道の駅を初めとして公共施設では「ゴミは持ち帰りましょう」と言っているが、自分たちだってゴミを売っていて、そのゴミの処分はしたくないって、言語道断である。

 

東京23区は、可燃ゴミ、不可燃ゴミ、リサイクルゴミと分別している。

不可燃ゴミとは、陶器、ガラスや金属類でこれは隔週に収集しているが、可燃ゴミは、紙、プラスチック、ペットボトル、発泡スチロール等々多くは可燃ゴミとして処理している。

これは、焼却炉を作ったため、高温で全て焼いてしまうのだ。

この為、プラスチックやペットボトルは、実はリサイクルでなく可燃ゴミとして焼きたいのだ。

石油系であるこれらは、大量にあれば、その分重油の量が減らせるのだ。

その熱で電気やお湯を作ったりできるのだ。

詰まり、ゴミはゴミでなく資源となっている。

 

昔、父に塩ビの怪獣人形をゴミとして捨てられたが、なんでも鑑定団で観ていると、捨てられてゴミがとんでもないお宝であることに驚かされる。

 

ゴミを減らすことを考えるより、ゴミのリサイクルを考えた方が理にかなっていると思う。

昔は、庭の木々の葉が落ちれば落ち葉炊きをして、サツマイモを焼いて食べたのだし、葉が焼けて灰になれば、それを土と混ぜれば、立派な肥料である。

 

言い換えれば、ゴミかお宝かは、我々の考え方一つであると言えると思う。

まずは皆さんも身の回りを見直してみたら如何ですか?

意外なお宝が見つかるかもしれない。