今日は節分である。
節分が終われば立春で、これが本当の正月で平成30年の幕開けである。
だから、明日以降神社に行かなければ、初詣にならないのだ。
グレゴリー歴にしたのは、人間の都合であり、神々は太古から連なる太陰暦で動いておられる。
銅鐸と銅矛は、実は暦だという。
三年で一周期らしい。
これも、月の動きに合わせた暦で、銅鐸の上部に銅矛を差し込む穴があって、正確な日時を知ることができたらしい。
日本人は太古より、太陽と共に生き、月と共に暦を知ったのだ。
さて、個人的な話だが、今日でようやく天中殺が明ける。
私は申酉天中殺であるので、申年と酉年の時に天中殺がやってくる。
天中殺とは、人間等しくやってくる厄であり、12年周期で2年間ある。
ここは、今までの10年を振り返り、来るべき次の10年に向け心身共に休む年回りである。
この時期に新たなることを行うと必ず凶となり、下手をすれば命すら落としかねない。
だから、武将達は己の生年月日を隠したのだ。
敵方に知れれば、ここを突かれてしまうからである。
正確に自分の天中殺を知るには、生年月日に時間も必要である。
同じ年、月の人とも違うから要注意である。
人との繋がりも、天中殺を隔てて変わっていく。
ここで、自分にとって必要か不必要かの篩にかけられると思う。
天中殺の時に知り合った人とは上手くいかないので、注意が必要である。
アメリカで付けているジムのパーソナルトレーナーと、今回会えなかった。
日本から戻って来て、ジムに行くと何時もジムにいて、トレーニングをお願いしていたが、今回、いっこうに会えなかった。
嫌な予感がした。
日本で新しいトレーナーを付けようかなと天中殺の入りをかえして思っていたが、不思議と天中殺の時には動かないもので、日本では付けなかった。
余りに会えないので、ジムのオーナーに聞いてみたら、なんと去年の10月に癌で亡くなっていたのだ。
前回の「日本に行って来ます」との私のSMSの返事に「元気で、又会いましょう」のメッセージを虚しく読み返してしまう。
1月1日のダウンタウンの浄土宗のお寺での説法が、妙に頭の中を回る。
人生、正に一期一会である。
今を一生懸命に生き、友人らと関わり合うことが大切であると思い知らされる。
私と同年代の友人の"死"は、妙にこたえる。
事故死ならともかく、病死となると、自分もその域に入っていることを自覚する。
明日、来月、来年の予定を平気で立てているが、明日の命の保証など何もないのだ。
今日を精一杯生きることの積み重ねが、来月、来年なのだ。
さて、次なる10年、どう生きるか⁉️これが肝要である。