話の前に"間違えだらけの中国史"のこの"中国"この間違えを我々日本人全員で共有せねばならない。

中国=中華人民共和国であるとしているが、大東亜戦争中までは、中国といえば、山陽山陰のみを指す言葉であり、当然中国人といえば、広島県民や山口県民を指す言葉である。

だから、江戸時代の学者は"支那"と呼ぶことにして、"支那の歴史"が正しいのだ。

"支那=Chaina"なのだから、差別語でも侮蔑語でもない。

もし支那人が、「支那と呼ぶな」というのならば、英語で"Chaina"と呼ぶなと言わねばならない。

百步譲って"中国の歴史"と言えば、昭和24年から始まった国であるとしか言えない。

因みに、中華人民共和国の"人民"と"共和国"は日本語である。

詰まり、反日しているくせに、国名に日本語が入っている国なのである。

では、何故、"中国の歴史"でなく"支那の歴史"なのか?というと、20世紀の動乱前の"清朝"を考えてみよう。

現中華人民共和国は、漢民族による国家と言っている。

しかし、清朝は満州人による国家であったので、漢民族の歴史とは言えない。

だからこそ、"中国"でなく"支那"と全てのあの大陸の国家を指す単語が必要なのだ。

日本の歴史は縄文時代から現代に至るまで我々大和民族が、住んでいてそれぞれの政府を作ってきた。

実は、これこそが"世界中で稀"なのである。

 

支那の歴史は、黄河文明、揚子江文明という有史以前の文明があって、神代の時代を経て夏殷周から秦へと繋がるが、これら全てに漢民族は関わっていない。

黄河文明は白人であった事がミイラから分かっているし、揚子江文明は我々の祖先が九州の巨大火山の大噴火で揚子江へ避難して始まったという最新の説がある。

漢民族が歴史に登場するのは"漢朝”からなのだ。

その後も民族間の争いで、支那の歴代王朝があるわけである。

因みに、我が国と縁の深い"隋"と"唐"も漢民族とは無関係な支那にあった国家であった。

映画の敦煌を観れば分かるが、敦煌を含む西域や支那中央を征服していた渡瀬恒彦氏演じた"李元昊"率いる西夏(せいか)という国が宋を崩壊させている。

 

日本人の勘違いしている支那の歴史に、「歴代支那王朝はアジアの覇者」と思っていることである。

実は、支那の歴代王朝の歴史は、常に周辺部族の進出なのである。

言い換えれば、常にボコられてきた歴史で、「金を払うから帰れ」的方法で生きてきたのだ。

だから、万里の長城を作る必要があった!!!

真実、支那の歴史で本当に強かったのは、"元"と"清"なのだ。

これも漢民族は無関係である。

元は史上最大の帝国を築き、ロシア、東ヨーロッパも支配下に於いた。

清は元中華人民共和国が手本としている国土を持っていた。

そのどちらにも勝利したのは日本だといえる・・・

 

最弱といえるのが明朝で、元万里の長城はこの時代に作られた。

万里の長城の中が中華なのであった・・・

明朝は漢民族である・・・

 

だから、中国4000年の歴史とは、とうてい呼べないのが現実である。

因みに、明国崩壊のきっかけを作ったのは、豊臣秀吉公である。

明国征伐を迎え撃った明国は莫大な費用を使って、国家財政が傾き清の到来を招いたのだ。

 

私は"日本史"と"世界史"を分けるのが間違えだと思っている。

日本史の中に世界史があるべきで、縄文女性が朱色の漆塗り髪飾りを付けていた時代は、古代エジプト文明は未だなかった・・・となるわけである。

 

実は、我々が思っていた以上に縄文人は文明人であったのだ。

こんな住居には住んでいなかったと思う。

こんな感じの建物には住んでいたはずだ。

栗の林を作り漆林も栽培し、稲作もしていた縄文人が、洞窟に住んでいた原始人と同じ訳はない。

女性も染め物の服を着ていたという。

女性がお洒落をする時代は、文化レベルが高いはずである。

 

先ずは我々の長い歴史を勉強してみては如何か?