平成29年元旦に、LAのDowntownのまで初詣へ行ってきた。
我が家は浄土宗なので浄土宗の寺へ行ってきた。
元旦の勤行に参加し、久しぶりの坊主の説教も訊いた。
この歳でも常に勉強となのだと改めて思わされた。
"念仏"とは心で仏を思い描くことであるという。
お釈迦様が修行されていた時代は、念じれば仏が見えたと言うが、昨今、社会が成熟し誘惑が多くなると、"念じる"だけでは仏は見えないらしい。
そこで、念仏とは"南無阿弥陀仏"を唱えるようになったといういうだ。
昨今と言っても800年以上前の話で、鎌倉時代の法然上人の時代だが、頭で思い描くよりも、口に出した方が掴みやすいという。
そこで、"善"なる思いとは、頭の中を清めて善になるのか?
だが、人は弱く脆く、直ぐに心が折れてしまうものだ。
善とは頭で思うものか、身体で身につけることか?であるという。
善になるために、日々の生活を利することから始まるという。
日本人が、食事をするときには「頂きます」と手を合わせるはずだし、終われば「御馳走様でした」と頭を垂れる。
実はこれは仏教の教えであるという。
キリスト教では"GRACE"といい、神に感謝するから"Thank you"となる。
感謝ならば確かに「有り難うございます」と言えば良いのだが、頂きますとはニュアンスがかなり違う。
「頂く」とは"命を貰う"ということであるという。
人間は、他の命を貰って生きている。
他の物を殺して、自らの命を繋いでいるのだ。
仏教用語では"殺生"というらしいのだが、だから命を食べるから「頂きます」、命を食べたから「御馳走様でした」というのだ。
だから、「食べ物を粗末にしてはいけない」と小さい頃から言われていたはずだ。
日本人は知らず知らずに身についているのだ。
これを訊いたときに、食への感謝の念が沸き上がった。
大食い番組や鶏の大量殺処分の話を聞くと、心が痛むのは私だけであろうか?
今日も手を合わせて食べ物を頂くことにする。

