最近"歴女"という言葉が流行っているという。

歴史好きな女性の事らしいが、城廻や戦国武将について勉強が好きらしい。

 

私も城廻は好きだが、私的には天守などはどうでも良いのだ!!!

重要なのは本丸を始めとした御殿である。

残念ながら、御殿が残っている城は少ない。

二条城、掛川城、高知城、川越城くらいかもしれない・・・

 

基本的に本丸御殿は、公方様がお入りになるので、城主は控えて二の丸を使用していた。

日本全国は、上様のものであり、当然お城も上様の物である。

上様より預かっている"城代"としての立場が、殿様であるから、当然本丸御殿は上様物となる。

だから、江戸時代は、上様、公方様、大君、御本丸様と呼んでいて、間違っても"将軍"などとは呼ばなかった!!!

「首飛ぶぜ!!!」ものである。

"御本丸様"と言えば、上様を指すのだ。

日本全国の全ての城の本丸は上様の住まいということであろう・・・

だから、本丸は火災により焼失して、建て直されなかったという例は多々ある。

上様お越しの前に建て直せば良いと言うことであろう・・・

お金掛かるし・・・

 

さて、私は城を見てまわるときに、自分がこの城の城主だったら敵をどう食い止めるか?又は、もし攻め方の方であれば、どう攻めたか?を考える。

これが実に面白い・・・

竹田城も"天空の城"とか"雲上の城"と呼ばれているが、よくもこんなへんぴな所に造ったものだと感心してしまう。

でも、これって、攻め手側だとこの時がチャンスであろう・・・

私ならば、稲刈り直前に攻めて、稲を根こそぎ奪ってから、農民達を移動させて、町を焼き兵糧攻めにしてやる・・・

とか、考える。

頭の中が"信長の野望"モードだと言われてしまう。

 

しかし、石垣の巨石をこの山頂まで運んだことには、脱帽してしまう。

平成の現代の重機を使っても大変なのに・・・

 

ここから高速道路で約1時間ほど行くと姫路城がある。

姫路城の歴史は古く、貞和二年(1346)まで遡る。

ただし、この時代は城と言っても砦程度で、今の原型になったのは羽柴秀吉が入城してからであり、現在の形になったのは本多忠政。

天守を初めて造ったのは織田信長公である。

 

さて、別に悪く言うつもりはないが、姫路城は難攻不落と自慢している輩が多いが、私に言わせれば、戦わずに負けた城である。

江戸時代も領地替えがある度に、誰一人文句も言わずに戦わずにして城を明け渡している。

又、幕末も戦わずして新政府軍に明け渡している。

 

結局、城と言っても戦いにはそぐわないという良い例だと思う。

 

こうなると、武田信玄の「人は城、人は石垣、人は堀、情けは見方、仇は敵なり」が正しい考え方と言う事か・・・

 

つづく