今、プレステ4で"信長の野望・創造・戦国立志伝"というゲームにはまっている。

実際の戦国武将でプレーも出来るし、勝手に自分の好きな武将を作りそれでプレーも出来る。

前回はまっていた"信長の野望・創造"と"戦国立志伝"の大きな違いは、前者は実在の戦国大名としてプレーしたのに対して、後者は大名家の家臣からスタートできると言う事だ。

宮仕の辛さをひしひしと感じつつ、主家に謀反を起こし独立して大名家となるところなど、ハラハラドキドキものである。

だが、今日、木下藤吉郎でプレーして、さすがに信長公に逆らうことは出来ず、六角家に出奔してからの成り上がりであった。

 

だが、このゲームは良く出来ていて、ある種のパラレルワールドと言っても良い世界である。

プレーする度に、大名家の勢力図が全く変わっているのには驚かされる。

確かに、信長公の一生に一度の大博打といえば、"桶狭間戦い"であるが、これって奇跡的に勝っただけで、毎回これが出来る保証は無いのだ。

ここで負ければ、織田家は亡んでいた・・・

神君家康公ですら、三方ヶ原のぼろ負け(生涯一度の負け戦)したが、もし武田軍が浜松城を攻めていたら、歴史は全く別な物になっていたし、それは我々の生活感や道徳観にも及ぼすほどの大事だし、明治が来たかどうかも分からない・・・

我々の世は、全て偶然の賽の目に連続の上に成り立っていることになると言える。

 

そこで、関ヶ原の戦いだが、これは"天下分け目の戦"と言われている。

"徳川対豊臣"の戦だと思いがちである。

だが、それは間違いである事に、ふと気が付いた。

徳川対豊臣の戦は、大坂の陣であって、関ヶ原の戦いは不満分子による武装蜂起であり、いうならばクーデター未遂事件である。

何故か!?

 

豊臣政権は、五大老、三中老、五奉行を中心としていた。

五大老筆頭徳川家康内大臣、前田利家大納言、毛利輝元中納言、宇喜多直家中納言、上杉景勝中納言である。

次が中老で、生駒一正、中村一氏、堀尾吉晴で、五奉行は浅野長政、石田三成、増田長盛、長束正家、前田玄以である。

今風に言えば、大老は大臣で、奉行は役所の次官か局長であろう。

 

徳川家康は総理大臣であるから、当然大名家の仕置きや立法などの行政の長を勤めていた。

そこに次官だか局長が「あの総理大臣気にくわない」と言って反対派を組織したわけである。

今で言うなら、内閣総理大臣の仕事っぷりが気に入らないからって武力で総理を追い出そうとするこういを、テロ行為と呼ぶ!!!

 

詰まり、石田三成は何を言おうとテロリストであり、西軍はテロ武装組織である。

 

ここでよくよく考えねばならない。

映画にもなったが"清洲会議"であるが、これは織田家の跡目を誰にするかという織田家中の会議であった。

だが、実は織田家は天下人の家ではないのだ!!!

天下人は織田信長という個人であって、決して織田家ではない。

何故そう言えるのか?

それは、信長公自身が、天正3年(1575)42歳の時に織田家家督を嫡男の織田信忠に譲って岐阜城を出て安土城に移ったのだ。

詰まり、織田家中から出たということだ。

この意味は、自分は天下人として今後生きるという覚悟で、織田家は一大名家である宣言に等しい。

変わって徳川家康公は"徳川宗家が天下の家" として、自ら大御所として駿府城に隠居したのとはスタンスが違うのだ。

 

織田信忠は織田家の主人であるが、天下人の世嗣かどうかの定めがなかった。

定める前に本能寺の変が起こったわけである。

 

羽柴秀吉が天下人の跡目を継いだが、決して簒奪したのでは無く、織田家は存続していた。

当然、天下人の家臣としてだが・・・

 

話を戻すが、関ヶ原の戦いはクーデター事件であって、豊臣政権内の問題で、ここに家康公が天下を狙ったというのは取って付けた嘘であろう。

天下を狙っていたのは事実だが、それは大阪城で臣下の礼を取ったときから始まっている。

実は組織というのは、外からの攻撃には強いが、内側からの攻撃には脆いのだ。

もし、家康公が大阪行きを拒み武力で対抗したら、7割以上の確率で負けていたか、戦国時代に逆戻りしていたと思う。

だが、彼は徳川家の兵力温存で、内側から食い破る戦略を展開したのだ。

 

豊臣秀次を切腹に追いやったの黒幕は、徳川方であることは間違いない!!!

もし、秀次が生きていたら、徳川幕府は存在しなかった筈だ。

関白は準皇族であるから、殺すことは出来ないが太閤に殺してもらえば・・・

 

因みに内大臣や石田治部少輔とか陸奥守とかは単なる名誉タイトルで実態は無いのだ。

内大臣だからと言って、朝廷で政をするわけでは無いし、五摂家の連中だって、大納言とか太政大臣だからと言って、実際の日本国運営には全く関係がなかった。

実は日本は、軍事政権国家であったのだ。

 

昨今、軍事政権は怪しからんというイメージだが、日本は鎌倉時代から軍事政権で、文明文化が花開いた輝かしい歴史を持っている。

 

豊臣家は公家になったのだから、豊臣秀頼も関白として大人しくしていれば生き残れたのだ。

日本の武家は公家を嫌うから、源頼朝公も公家化したから坂東武者軍団に暗殺された。

 

石田三成も分を弁えていれば、徳川幕府で手腕を振るえたであろうに・・・

 

正に歴史はミステリーである。