"風林火山"といえば、孫子の兵法で有名な戦国武将武田信玄を思い出す。

昨今、この孫子の兵法を現代ビジネスにたとえた本が売れているらしい。

 

武田信玄=孫子、上杉謙信=呉子、織田信長=マキャベリだというのだ。

孫子は兵法書で、"戦わずして勝つ"を心情に、「戦いとは負けなければ良いであり、戦の勝敗は、戦う前に付いている」というものである。

だから、仕込みが大変である。

支那も日中国交正常化以降、何十年も掛けて日本にスパイを送り込み、反日野郎をバイオウして国益を損ねる行動をさせているではないか。

ここが孫子の盲点であるというのだ。

詰まり、「孫子には時間軸がない」ことである。

武田信玄にしてみれば、孫子の兵法をたたき込まれた軍は強かったが、信濃を取って命がつきたのだから、時に負けたことになる・・・

「孫子よ、人間には寿命があるよ」と教えたあげたいものだ・・・

 

呉子とは私も知らなかったが、孫子と違い戦術に特化した兵法書であったという。

上杉謙信はこれを元に強かったという。

 

だが、結局は織田信長の敵では無いのだ。

 

上杉謙信も武田信玄も戦術家であり、戦えば強いが、戦略家の信長の野望の前には話にならないといえる。

 

何故か?と思われる読者も多いであろう。

よくよく考えて欲しい。

当時の常識は、運命共同軍であり、将は直参の家臣であって、自分の領地を彼らに分け与えていた。そして兵は戦の度に自国内から徴兵するのだ。

詰まり、将兵すべて自国民である。

兵は税金の代わりであるから、人件費は掛かっていない!!!

しかし、軍の大きさは人口に比例してしまうという欠点がある。

それに引き替え、信長軍は傭兵軍であるから、兵には給料として現金を渡していた。

金が掛かるから、従来の農業主体から重商業へと移行していった。

そして、兵隊の数は資金力に比例するから、信長軍の規模は日本一へとなっていくのだ。

 

一回や二回の戦いで、信玄や謙信に負けても、信長は兵の補充は直ぐに出来るから、何度でも頻繁に戦が出来るが、結局は持久戦になれば信長の勝利である。

 

そもそも第四次川中島合戦は、信長の術中にはまり、武田上杉合わせて4000名の死者が出たという。

これより10年間、両軍は歴史の表舞台に出てこれなかった。

信長の4000名の死者は、単なる数字で補充が効いたが、領民が4000名死んだら再起不能であろう。

 

そもそも、どちらが強いって結果は歴史が示しているはずだ。

問題は信長公がマキャベリの君主論を読んでいたか?だるが、私は呼んでいた又は、勉強した可能性があると思う。

南蛮坊主が信長の近くにいたのであるから、当然君主論も知っていたはずである。

マキャベリの君主論は、その目的がイタリア半島統一であるというとが、天下布武で日本国統一と重なったはずである。

政治的思想を誰に頼るかで、こうも違うのが面白い・・・

 

今となれば、久遠の歴史の彼方である・・・

歴史はミステリーである。