先日、MOTORHOMEで琵琶湖北側のキャンプ場へ行ってきた。

途中、ここは石田三成の居城跡的な看板を見かけた。

これって、"テロリスト"自慢かよ!!!と私は、どん引きしたのだが・・・

 

大河ドラマでも"真田幸村"や"坂本龍馬"とかテロリストを題材にしたのも多い・・・

歴史的人物ならば、"テロリスト感"が薄れてしまうのか?

 

坂本龍馬がテロリストであることは、前回書いたからここでは詳しく触れないが、"金の流れを追え"が何時の時代でも"キーワード"となるのだ。

 

そこで、真田幸村こと真田繁信に付いて考えてみた。

キーワードは、その後の真田家である。

真田とは信州上田が本拠地であるが、分家として松代藩も貰っている。

松代と言えば、北国街道脇道で軽井沢方面から来る中山道が追分で別れたのが通り、長野善光寺への街道もありる要衝である。

かの川中島の合戦の折も、越後軍はここを通ってやってきている。

ここを抜けて越後高田へ行くわけだ。

高田城は徳川家康公の六男松平忠輝が作った名城であるし、そこから数キロの位置に長尾景虎の居城であった春日山城もある。

現代でも高速道路信越道下りでは、北陸道までの最終給油所となっている。

ハーレーで北陸へ行く場合は、私は必ず松代SAでガソリンを入れている。

 

真田家は徳川家に対して相当な貸しがあると考えるのが自然だと思う。

第一は、関ヶ原合戦の折に徳川精鋭部隊3万が、上田で真田との小競り合いで戦に遅参したことになっている。

だが、その後真田家は処分をされていない・・・

 

もし、大坂夏の陣で真田丸を作ってガチンコで幕府軍に挑んでいたら、主家である真田本家にお咎め無しというのも不思議な話であろう。

 

そこで考えると、父である真田昌幸に「信繁、お前の命をわしにくれ」と言われ、天下国家のために大阪城へ豊臣家壊滅のために行ったとは考えられないか?

 

大阪冬の陣では、反乱ゲリラが大阪城にこもり、豊臣秀頼を旗印に集まっていたが、夏の陣は金に群がるテロリスト集団と化していた事実がある。

そもそも反幕府というのは、今風に言えば国家転覆を企むテロリスト以外の何物でも無い。

もし、本当に徳川家康公が戦死されていたら、日本はどうなったのか?

又戦乱の世に戻し、多くの人々に死をもたらすつもりであったのか?

 

実は、当時の人々は生まれた頃から戦っていた。

日本中身分の上下老若男女関係なく、戦っていた。

だから、平和ってなに?であったのだ。

百姓だって、ムカつく隣村を襲ったりしていたから、領主の武力でそれを押さえ込んでいたし、坊主も他宗を殺したり、言うことを聞かない人々を殺しまくっていた時代である。

日本全国殺し合っていたのを、武力で押さえ込み、法を整備して法治国家が定着したのが江戸時代である。

豊臣秀吉は、太閤検地を強行し、刀狩りも強行した。

刀狩りは、一般人が対象であった。

アメリカは、この刀狩りを未だに行えていないのだ・・・

 

織田信長が天下布武で、大名家や寺院を押さえ込んでいった。

正に「信長が蒸し、秀吉がついた餅を家康が食べた」が正しい、日本人改造計画であったと言える。

 

もし真田信繁が、本当に幕府軍に挑んだところで、戦略的に勝ち目がないものが、戦術的に勝っても無意味であるという兵法の基本を覆せるはずは無いのだ。

真田家は知略な家系である。

兵法は小さい頃から学んでいたはずだ。

 

それを考えると、真田信繁は真田丸を作り反逆者となった豊臣家を道連れにしたと考える方が自然である。

我々が常識だと思っている歴史は本当に正しいのか?

現代でさえ、SMAP解散の本当の理由は分からないし、TVを初めとしたマスゴミはジャニーズ事務所からの一方的な情報の垂れ流しだし、ネット界でも紆余曲折している。

 

たかだがSMAP解散すら本当のことは分からないのに、400以上昔の雲の上の出来事など誰が知っているのか?である。

 

正に歴史はミステリーなのである。