先日南朝鮮で、産経新聞元ソウル支局長加藤達也氏に対する朴槿恵大統領の名誉毀損在宅起訴事件の判決が出た。
結果無罪であったが、問題は判決の前に外交部(外務省のようなもの)の声明文を延々3時間読み上げたらしい。
「日本から善処せよ」的な要請があった云々・・・
やはり朝鮮人は未開な土人と世界中に知らしめた瞬間であった。
三権分立とは行政、議会、司法がそれぞれ独立して存在しているちうとこである。
詰まり、政府が裁判に介入知ることはTabooなのだ!!!
しかし、朝鮮はばりばり介入していると言うことのアピールである。
もし、「日本からの要請があるから、加藤氏は本当は有罪だが無罪とする」ならば、起訴する前の裏取引の話である。
何処の国だって、司法取引はある(日本は無い)が、これは起訴前の段階である。
起訴してしまったら、その件は行政でなく司法の手に委ねられるから口出しできないのだ。
詰まり、言論の自由が無い国は、民主主義とは言えないので、中世暗黒時代となる。
だが、日本は対岸の火事ではない。
この国も司法は腐っている。
そもそも、地方裁判所で裁判員裁判の判決を高等裁判所で覆してはならない(新たなる証拠等が発見されれば別)と最高裁の見解があるにもかかわらず、平気で正反対の判決を出す裁判官の馬鹿さ加減・・・
聞いた話だが、地裁レベルの裁判官は帰化人が多数いるという・・・
だが、裁判官や検察官は勘違いしている!!!
奴らは"御上意識"が強く、主権者である国民を見下している。
明治以前は、幕府が政府であり、幕府を構成しているのは武士であり、武士が日本の支配階級であった。
当然町奉行も武士だし、与力、同心も武士であった。
だから、高飛車であったであろうし、"御上は絶対"であった。
何故なら主権者は公方様ただ一人であったからだ。
公方は三権(行政、議会、司法)を全て一人で唯一持っていたからである。
それを、家臣に分けて国を治めていたのだ。
議会は無かったが、老中、若年寄とうの役職は複数人いたので、結局は話し合いになっていたのだ。
しかし、徳川家康公は凄い人出ある。
一人に権力が集中すると腐敗することをしっていたから、同役が複数人制度にして、互いに監視させていたのだ。
実は老中という役職は世襲では無く、親子で老中の人に付いたのは一組だけだと思った・・・
老中になれる家柄は決まっていたが、それは「成れるかも・・・」であり、約束されてはいなかったから、本人の実力次第であった。
明治時代になって四民平等と言ったが、実際は華族制度があったし、身分は残っていた。
だが、福沢諭吉翁の"学問のすゝめ"ではないが、勉強さえすれば上の地位に行けたのも事実であった。
まあ、戦前までは"御上"の概念は残ったが、今も色濃く残っているのが法曹界だと思う。
そもそも検事総長を勝手に決めているのが意味不明である。
民主国家であれば、検事総長や警視総監とうは国民選挙で選ぶべきであるし、別に司法試験に合格している必要も無い。
権力が集中する役職は、選挙にすべきなのだ。
例えばUSAの場合、ロサンゼルスを例にすれば、LAの最高権力者はLA市民が選ぶ市長である。
警察(LAPD)は、完全に市長の管轄下にあるし、検察も市長の管轄下である。
詰まり、市警や市検事局の長は市長に任命権がある。
だが、日本は違う。
東京都知事の管轄下に警視庁はない・・・
日本の警察は巨大になりすぎている。
巨大な組織ほど、フットワークが重くなるし、闇の部分も増える。
私は警察解体こそが、近代化を進める第一歩だと思っている。
検察庁を連邦警察のようにして、県警は都道府県の管轄にしてしまえばよいのだ。
医療や、食品偽装にはそれぞれの省庁が専門の捜査組織を置けば良いのだ。
厚生労働省には麻薬Gメンがあるのだから、医療捜査官や食料捜査官を儲ければ良いのだ。
警察の仕事量を減らしてこそ、市民と向きあえる警察になる。
今のように何でも警察では、彼らが可哀想である。
司法の近代化は警察組織の分解と取り調べの完全可視化と録画、そして取り調べへの弁護士立ち会いである。
そもそも、刑が確定するまで被疑者は犯人では無いのだから、拘留する必要もない(殺人事件等の凶悪犯を除く)と思う。
保釈中に逃亡したら拘留するのは分かるが・・・
まあ、日本の司法は中世である。
これは決して他人事では無い。
いつ何時、犯罪の嫌疑が掛けられるか分からないのが現状である。
これを読んでくれている人にも、殺人事件の容疑者にされる恐れがある。
万が一の場合に備えて、弁護士を決めておいた方が良い。
結果無罪であったが、問題は判決の前に外交部(外務省のようなもの)の声明文を延々3時間読み上げたらしい。
「日本から善処せよ」的な要請があった云々・・・
やはり朝鮮人は未開な土人と世界中に知らしめた瞬間であった。
三権分立とは行政、議会、司法がそれぞれ独立して存在しているちうとこである。
詰まり、政府が裁判に介入知ることはTabooなのだ!!!
しかし、朝鮮はばりばり介入していると言うことのアピールである。
もし、「日本からの要請があるから、加藤氏は本当は有罪だが無罪とする」ならば、起訴する前の裏取引の話である。
何処の国だって、司法取引はある(日本は無い)が、これは起訴前の段階である。
起訴してしまったら、その件は行政でなく司法の手に委ねられるから口出しできないのだ。
詰まり、言論の自由が無い国は、民主主義とは言えないので、中世暗黒時代となる。
だが、日本は対岸の火事ではない。
この国も司法は腐っている。
そもそも、地方裁判所で裁判員裁判の判決を高等裁判所で覆してはならない(新たなる証拠等が発見されれば別)と最高裁の見解があるにもかかわらず、平気で正反対の判決を出す裁判官の馬鹿さ加減・・・
聞いた話だが、地裁レベルの裁判官は帰化人が多数いるという・・・
だが、裁判官や検察官は勘違いしている!!!
奴らは"御上意識"が強く、主権者である国民を見下している。
明治以前は、幕府が政府であり、幕府を構成しているのは武士であり、武士が日本の支配階級であった。
当然町奉行も武士だし、与力、同心も武士であった。
だから、高飛車であったであろうし、"御上は絶対"であった。
何故なら主権者は公方様ただ一人であったからだ。
公方は三権(行政、議会、司法)を全て一人で唯一持っていたからである。
それを、家臣に分けて国を治めていたのだ。
議会は無かったが、老中、若年寄とうの役職は複数人いたので、結局は話し合いになっていたのだ。
しかし、徳川家康公は凄い人出ある。
一人に権力が集中すると腐敗することをしっていたから、同役が複数人制度にして、互いに監視させていたのだ。
実は老中という役職は世襲では無く、親子で老中の人に付いたのは一組だけだと思った・・・
老中になれる家柄は決まっていたが、それは「成れるかも・・・」であり、約束されてはいなかったから、本人の実力次第であった。
明治時代になって四民平等と言ったが、実際は華族制度があったし、身分は残っていた。
だが、福沢諭吉翁の"学問のすゝめ"ではないが、勉強さえすれば上の地位に行けたのも事実であった。
まあ、戦前までは"御上"の概念は残ったが、今も色濃く残っているのが法曹界だと思う。
そもそも検事総長を勝手に決めているのが意味不明である。
民主国家であれば、検事総長や警視総監とうは国民選挙で選ぶべきであるし、別に司法試験に合格している必要も無い。
権力が集中する役職は、選挙にすべきなのだ。
例えばUSAの場合、ロサンゼルスを例にすれば、LAの最高権力者はLA市民が選ぶ市長である。
警察(LAPD)は、完全に市長の管轄下にあるし、検察も市長の管轄下である。
詰まり、市警や市検事局の長は市長に任命権がある。
だが、日本は違う。
東京都知事の管轄下に警視庁はない・・・
日本の警察は巨大になりすぎている。
巨大な組織ほど、フットワークが重くなるし、闇の部分も増える。
私は警察解体こそが、近代化を進める第一歩だと思っている。
検察庁を連邦警察のようにして、県警は都道府県の管轄にしてしまえばよいのだ。
医療や、食品偽装にはそれぞれの省庁が専門の捜査組織を置けば良いのだ。
厚生労働省には麻薬Gメンがあるのだから、医療捜査官や食料捜査官を儲ければ良いのだ。
警察の仕事量を減らしてこそ、市民と向きあえる警察になる。
今のように何でも警察では、彼らが可哀想である。
司法の近代化は警察組織の分解と取り調べの完全可視化と録画、そして取り調べへの弁護士立ち会いである。
そもそも、刑が確定するまで被疑者は犯人では無いのだから、拘留する必要もない(殺人事件等の凶悪犯を除く)と思う。
保釈中に逃亡したら拘留するのは分かるが・・・
まあ、日本の司法は中世である。
これは決して他人事では無い。
いつ何時、犯罪の嫌疑が掛けられるか分からないのが現状である。
これを読んでくれている人にも、殺人事件の容疑者にされる恐れがある。
万が一の場合に備えて、弁護士を決めておいた方が良い。