昨日TVを何気なく観ていたら面白いトピックに耳が止まった。
我々は市場性と社会性の中に生きている。
市場性とは、一言で言えば金儲けである。
労働の対価として金をもらう。金を投資して更に金を稼ぐ等々である。
社会性とは我々の属している国、都道府県、市区町村の為に何かをすることである。
たとえ話が面白かったが、アメリカでのことだが、ある慈善団体がその地域の弁護士会の弁護士に困っている人が多いので一時間30ドルで相談に乗ってもらえないか?と打診したところ皆に断られたというが、別の言い方、困っている人がいるからボランティア(無料)で法律相談に乗って欲しいというと、多くの弁護士が了承したという。
「人を助けて欲しい」だから、時給100ドル~200ドルの相談料を30ドルにして欲しいというと、NOなのだ。
お金を払うというと、これは市場性の問題となるから値引きは出来ないが答えになるが、ボランティアでお願いしますとなると、これは社会性の問題となるから当然OKとなる。
欧米らしい考え方である。
しかし、日本はこの社会性と市場性が混在している社会と言えると思う。
例えば、"チャリティーコンサート"があるが、チャリティーなのだから出演者は無料で働き、聴衆もコンサート代は無料だが、チャリティーの目的に対して寄付をするわけだ。
では、会場も無料? スタッフを無料?
チャリティーは社会性に属し、ある人々を助けたいという目的でそれに賛同する人々が集っている。
しかし、会場代やスタッフの経費を払うとなると、これは社会生活動に市場性活動が入り込んでいる。
詰まり、純粋なチャリティーでは無いと言える。
夏にどこかの放送局がチャリティー特番を24時間垂れ流している。
出演者は無料で働いている発であるが、ではTV局のスタッフも無料で働いているのか?
有休を使って働いていないとおかしいし、そもそも24時間ぶっ通しで放送せねばならない。
詰まりTVCMが有ること自体、ナンセンスである。
当然、スポンサー企業だってチャリティーに賛同?しているのだから、「TVCMなしで良いよ」と言わねば成り立たない。
被災地に届けられる多額の義援金だって、そお分配等々不透明さ垣間見えて気持ち悪い。
明治以前の日本は、社会性も市場性も一緒くたであった。
公方様はまさに公の人である。
日本中の土地と人々、金は公方様のものであった。
だから、それを皆に分配して日本という国を運営していた。
京都の清水寺の清水の舞台だって、家光公が寄進したし、秩父神社も家康公が寄進した。
人の上に立つ者は当然地域社会に奉仕するという考えがあったから、「武士は食わねど高楊枝」と言う言葉が出来、人の上に立つ者は人々の範となれ精神があった。
現代は、それが崩れ、人の上に立つ者が人を騙すようになっている。
我々が許してはならないのは、"社会性詐欺"である。
社会貢献を謡いながら金儲けする奴らを許してはならない。
人の善意を食い物にする輩を許してはならないのだ。
その為にも皆が積極的に社会性活動をして、それぞれの目を光らせる必要があると思う。
我々は市場性と社会性の中に生きている。
市場性とは、一言で言えば金儲けである。
労働の対価として金をもらう。金を投資して更に金を稼ぐ等々である。
社会性とは我々の属している国、都道府県、市区町村の為に何かをすることである。
たとえ話が面白かったが、アメリカでのことだが、ある慈善団体がその地域の弁護士会の弁護士に困っている人が多いので一時間30ドルで相談に乗ってもらえないか?と打診したところ皆に断られたというが、別の言い方、困っている人がいるからボランティア(無料)で法律相談に乗って欲しいというと、多くの弁護士が了承したという。
「人を助けて欲しい」だから、時給100ドル~200ドルの相談料を30ドルにして欲しいというと、NOなのだ。
お金を払うというと、これは市場性の問題となるから値引きは出来ないが答えになるが、ボランティアでお願いしますとなると、これは社会性の問題となるから当然OKとなる。
欧米らしい考え方である。
しかし、日本はこの社会性と市場性が混在している社会と言えると思う。
例えば、"チャリティーコンサート"があるが、チャリティーなのだから出演者は無料で働き、聴衆もコンサート代は無料だが、チャリティーの目的に対して寄付をするわけだ。
では、会場も無料? スタッフを無料?
チャリティーは社会性に属し、ある人々を助けたいという目的でそれに賛同する人々が集っている。
しかし、会場代やスタッフの経費を払うとなると、これは社会生活動に市場性活動が入り込んでいる。
詰まり、純粋なチャリティーでは無いと言える。
夏にどこかの放送局がチャリティー特番を24時間垂れ流している。
出演者は無料で働いている発であるが、ではTV局のスタッフも無料で働いているのか?
有休を使って働いていないとおかしいし、そもそも24時間ぶっ通しで放送せねばならない。
詰まりTVCMが有ること自体、ナンセンスである。
当然、スポンサー企業だってチャリティーに賛同?しているのだから、「TVCMなしで良いよ」と言わねば成り立たない。
被災地に届けられる多額の義援金だって、そお分配等々不透明さ垣間見えて気持ち悪い。
明治以前の日本は、社会性も市場性も一緒くたであった。
公方様はまさに公の人である。
日本中の土地と人々、金は公方様のものであった。
だから、それを皆に分配して日本という国を運営していた。
京都の清水寺の清水の舞台だって、家光公が寄進したし、秩父神社も家康公が寄進した。
人の上に立つ者は当然地域社会に奉仕するという考えがあったから、「武士は食わねど高楊枝」と言う言葉が出来、人の上に立つ者は人々の範となれ精神があった。
現代は、それが崩れ、人の上に立つ者が人を騙すようになっている。
我々が許してはならないのは、"社会性詐欺"である。
社会貢献を謡いながら金儲けする奴らを許してはならない。
人の善意を食い物にする輩を許してはならないのだ。
その為にも皆が積極的に社会性活動をして、それぞれの目を光らせる必要があると思う。