歴史大河ドラマ等を観ていて気が付くのであるが、例えば先日から観始めた"天地人"だが、上杉謙信からすれば、直江兼続は陪臣(家臣の家臣)であるから、わざわざ会ったりはしない。
織田信長ならば、秀吉とか柴田勝家が何時も側にいるし、豊臣秀吉だと、石田三成が常にいる。
果てしてどうであろうか?
では織田信長を例に取ると、信長は生まれながらに大名である。
筆頭家老の柴田勝家だとて、一家臣に過ぎない。
まして、鼠禿(信長は秀吉を"猿"ではなくこう呼んでいたという)などは、百姓の出だから人とも思っていなかったはずだ。
だから、表御殿では会うが、決して近くでは無い。
膝と膝が当たるほどでは、無礼であるので、敷居の上下で隔てられてる部屋の筈である。
信長、秀吉、勝家は主従関係であって、決して同列では無い。
我が家的に言えば、会社の重役や弁護士等は従であり、チャッピー(我が家の愛犬)は家族であるから、彼らより近い存在である。
信長的に言えば、鼠禿は所詮は家臣、いざとなれば切り捨てるが、森蘭丸は主従関係と当時に衆道の契り(男性同士での肉体関係)があったから、単なる出来る家臣とは違うのだ。
言っておくが、明治時代に西洋文化が入ってくるまで、衆道は決して変態ではなく、上流社会の常識であった。
だから、殿様には若い小姓が常に控えていたのだ。
お市の方は、従兄妹であり信長の愛人であった。
茶々姫は、信長とお市の間の姫で、浅井長政に嫁いだときは、御茶々を連れいていっていた。
だから、次女が"お初"なのである。
さて、織田信長は実は織田家当主では無かったのだ。
天正四年(1576)に信長は織田家の家督を長子信忠に譲っている。
信長は大名連合の長となっていたのだ。
そう考えると、清洲会議が馬鹿馬鹿しく思える。
おっと、そうくると、鼠禿が天下人となったのも簒奪ではなかった。
秀吉は織田家を乗っ取ってはいないが、織田家から貸し与えられていた軍団を掠め取ったのは事実である。
前にも書いたが、豊臣家は五摂家の上の格式となり、豊臣家以下からは関白職に付けないということになった。
この時点で豊臣家は公家となった。
徳川対豊臣には武家対公家の戦いでもあったが、五摂家からしてみると豊臣家がある限り未来永劫関白職には就けないと言うことだし、もしかしたら摂政も豊臣家で独占かも知れない。
五摂家としては公家が武家の風下に立つことは許せないが、自分らの既得権を失う方が持った嫌だったのであろう・・・
豊臣秀次は摂政関白ならぬ殺生関白といわれていたと言い伝えられているが、これは徳川方の陰謀であったといえる。
もし、関白秀次が生きていたら、徳川の天下は無かった・・・
凄すぎる政治力というか陰謀に脱帽である。
本多正信、正純親子がやばすぎるのだ!!!
しかし、何故現在にこのような偉大な策略家がいないのか?
残念である。
本日YouTubeで昭和天皇の"大東亜戦争開戦の詔勅"を拝見したが、もしあの当時に本多親子がいたら、米英に対してどう切り替えしたであろうか?
この本多親子が、大坂冬の陣で総堀を埋めさせた張本人である・・・
本多親子までとは言わぬが、明治時代日清、日露戦争回避に従事した方々の爪の垢ほどの人物が何故現在の官僚にいないのか・・・
はっきり言うが、東京大学が馬鹿すぎるのだ!!!
日本の受験戦争のルールでは最難関かも知れないが、欧米列強の教育レベルでは低次元すぎるのだ。
私が学生時代、毎日ディベートの授業があったし、ショートエッセイも常にディベートであった。
今思えば、大学時代に米でこういった教育を叩き込まれていた・・・
だが、理科系は答え(結論)があるから日本でも通用するから、ノーベル賞もとれるが、政治経済はなんとも・・・
戦国時代は、戦争が日常で裏切り陰謀も日常であった。
だから、優れた官僚が誕生する土壌であったといえる。
だから、歴史は楽しいのだ。
歴史を知ると、自ずと未来も見えてくる。
何故なら、人間のすることに古今東西違いが無いからである。
織田信長ならば、秀吉とか柴田勝家が何時も側にいるし、豊臣秀吉だと、石田三成が常にいる。
果てしてどうであろうか?
では織田信長を例に取ると、信長は生まれながらに大名である。
筆頭家老の柴田勝家だとて、一家臣に過ぎない。
まして、鼠禿(信長は秀吉を"猿"ではなくこう呼んでいたという)などは、百姓の出だから人とも思っていなかったはずだ。
だから、表御殿では会うが、決して近くでは無い。
膝と膝が当たるほどでは、無礼であるので、敷居の上下で隔てられてる部屋の筈である。
信長、秀吉、勝家は主従関係であって、決して同列では無い。
我が家的に言えば、会社の重役や弁護士等は従であり、チャッピー(我が家の愛犬)は家族であるから、彼らより近い存在である。
信長的に言えば、鼠禿は所詮は家臣、いざとなれば切り捨てるが、森蘭丸は主従関係と当時に衆道の契り(男性同士での肉体関係)があったから、単なる出来る家臣とは違うのだ。
言っておくが、明治時代に西洋文化が入ってくるまで、衆道は決して変態ではなく、上流社会の常識であった。
だから、殿様には若い小姓が常に控えていたのだ。
お市の方は、従兄妹であり信長の愛人であった。
茶々姫は、信長とお市の間の姫で、浅井長政に嫁いだときは、御茶々を連れいていっていた。
だから、次女が"お初"なのである。
さて、織田信長は実は織田家当主では無かったのだ。
天正四年(1576)に信長は織田家の家督を長子信忠に譲っている。
信長は大名連合の長となっていたのだ。
そう考えると、清洲会議が馬鹿馬鹿しく思える。
おっと、そうくると、鼠禿が天下人となったのも簒奪ではなかった。
秀吉は織田家を乗っ取ってはいないが、織田家から貸し与えられていた軍団を掠め取ったのは事実である。
前にも書いたが、豊臣家は五摂家の上の格式となり、豊臣家以下からは関白職に付けないということになった。
この時点で豊臣家は公家となった。
徳川対豊臣には武家対公家の戦いでもあったが、五摂家からしてみると豊臣家がある限り未来永劫関白職には就けないと言うことだし、もしかしたら摂政も豊臣家で独占かも知れない。
五摂家としては公家が武家の風下に立つことは許せないが、自分らの既得権を失う方が持った嫌だったのであろう・・・
豊臣秀次は摂政関白ならぬ殺生関白といわれていたと言い伝えられているが、これは徳川方の陰謀であったといえる。
もし、関白秀次が生きていたら、徳川の天下は無かった・・・
凄すぎる政治力というか陰謀に脱帽である。
本多正信、正純親子がやばすぎるのだ!!!
しかし、何故現在にこのような偉大な策略家がいないのか?
残念である。
本日YouTubeで昭和天皇の"大東亜戦争開戦の詔勅"を拝見したが、もしあの当時に本多親子がいたら、米英に対してどう切り替えしたであろうか?
この本多親子が、大坂冬の陣で総堀を埋めさせた張本人である・・・
本多親子までとは言わぬが、明治時代日清、日露戦争回避に従事した方々の爪の垢ほどの人物が何故現在の官僚にいないのか・・・
はっきり言うが、東京大学が馬鹿すぎるのだ!!!
日本の受験戦争のルールでは最難関かも知れないが、欧米列強の教育レベルでは低次元すぎるのだ。
私が学生時代、毎日ディベートの授業があったし、ショートエッセイも常にディベートであった。
今思えば、大学時代に米でこういった教育を叩き込まれていた・・・
だが、理科系は答え(結論)があるから日本でも通用するから、ノーベル賞もとれるが、政治経済はなんとも・・・
戦国時代は、戦争が日常で裏切り陰謀も日常であった。
だから、優れた官僚が誕生する土壌であったといえる。
だから、歴史は楽しいのだ。
歴史を知ると、自ずと未来も見えてくる。
何故なら、人間のすることに古今東西違いが無いからである。