"進撃の巨人"が面白いという話を聞き、VOD(オンデマンド)で全25話を一気観した・・・
まあ、面白かったが、漫画では未だ終わっていないと言うことで、アニメとして一応の終結?ではあったが・・・
さて、VODで何故か今更ですが"天地人"を観始めた・・・
しかし、NHKの直江兼続の持ち上げようが笑ってしまう。
「天下を狙える位置にいながら主君上杉景勝に尽くした」と言っているが、私には意味不明な言葉である。
天下を狙える位置って、はっきり言うが、直江兼続にそれだけの力は無い!!!
では、己の兵力はどれぐらい持っているのか?
上杉景勝でさえ、徳川家康公や秀吉殿下の足下にも及ばない。
徳川旗本八万騎、徳川譜代家臣が大名となった配下を入れれば、横綱と褌担ぎ以上の開きがある。
直江兼続は確かに優秀だったが、これって今で言えば町一番の秀才が、鳴り物入りで東京に出てきたらただに人ぐらいであろう・・・
だが、大河ドラマ天地人の最初で違和感があったのは、関白殿下が上杉景勝と直江兼続を天守から見下ろす場面があったが、殿下の横に石田三成が立っていた。
追々、たかが奉行ごときが、関白の横で腕組みして立っているって意味不明である!!
その場で打ち首者の無礼である。
主君と同列などあり得ない!!!
主君が立ていたら控える家臣は最低でも片膝付きである。
今でも、社長の横にいる部長が腕組みして立つか!?
今でも米沢に行ってみれば分かる・・・
貧乏くさいちんけな町である(あくまで個人的感想)
昔米沢城跡に隣接するステーキ屋で食べた折、城が小さいと言ったら「済みません、米沢は貧乏なので・・・」と言い返されたのを覚えている。
この米沢城趾は伊達政宗が生まれた場所だ。
戦国時代、「群雄割拠して天下を目指していた」は嘘である。
戦国大名は自分の領地の死守と「隙あらば領土を増やしたい」としか思っていなかった。
間違いなく本気で天下を目指したのは織田信長だけである。
そもそも長尾景虎(上杉謙信)って気持ち悪いとは思わないか?
毘沙門天に生涯独身を誓うって意味不明である。
大名の一の責務は、世継ぎを儲けることである。
この時代、子供の死亡率が高かったから、多くの女性に多くの男子を産ませたのだ!!!!
景虎の生涯独身宣言は、この時代の常識から見れば"変人"そのものである。
これには"長尾景虎=女性"説があるのだ。
私も女性説に一票を入れたい。
処女であった可能性が高く、子供を産んだことの無い女性は子宮癌のリスクが高いことを考えると、多分子宮癌で亡くなったと思う・・・
しかし、長尾景虎の家臣であったら、これほど辛いことは無い。
"義"による戦だ!!!と寝ぼけていやがるが、これって「ただ働きしろ」と同義語である。
戦には金が掛かる。
これは今も昔も変わらない。
昔の大名の考えだと越後国は長尾景虎が君臨している。
その家臣等に越後の地域を与え統治させていた。
一度戦となれば、城主達は自らの領地から徴兵して春日山城へはせ参じるわけだが、全ては自費である!!!
それに引き替え、織田軍は基本的に常備軍(傭兵)であるから、全ての費用は織田家持ちである。
実は越後は一枚岩でなく、常に家臣の反乱に悩まされていたというし、これは武田家も同じである。
だからこそ、川中島のイベントが重要であったのだ。
第四次川中島決戦は信長の謀略により「リアルガチ」になったのだ。
但し、川中島のイベントは長尾景虎と武田信玄の本人意外は知らなかったと言える・・・
それに、そもそもこの時代、賑わう町など無かったのだ!!!
だから、領主が商人に「毎月市を開け」と命じたから五日市、六日市、十日市という名が残っているのだ。
これは毎月五の付く日に市を開けという命の名残である。
これをまともな町を作ったのは織田信長である。
京の都以外は人が集まっていなかった・・・
信長は家臣(重臣)に「城下に住め」と命じたのだ。
重臣等は地方に領地が有り、皆そこに住んでいて、招集命令が出て初めて城に集まってきたのだ。
これを常に城下に住まわせれば、重臣の家族、郎党、女中、下働きとうも城下に住むようになるし、信長は常備軍を備えていたので、常に彼らは城下に住んでいた。
城下に人が常に集まっていたら商人等も命じられるまでもなく、定住して商いをするのだ。
こうやって今で言う城下町の基礎が形成されたのだ。
信長はこの商人達から税を徴収した。
傭兵を多く養うためには年貢で無く現金が必要であったから、どうしても重商主義にならざるおえなかった。
江戸時代初期に、松平忠輝はこの地を拝領したが、春日山城などを使わずに高田城を築城して城下町を作ったのだ。
私も昨年春日山城に行ってきたが、感想は「この城にいては天下統一はできなな・・・」である。
眺めは抜群であるが、統治には適していない・・・
上杉謙信や武田信玄の軍勢で1000名戦死となると大騒ぎだが、織田軍の1000名戦死はたいした問題で無い。
「1000人新兵募集」で良いのだ。
現代と違い、遺族年金などないのだから、10万人の常備兵を持っていれば1000名死んでも1000名募集でも人件費が同じである。
謙信、信玄の兵士とは領民であるが、信長にとっては只の駒であり、金でいくらでも補充可能なのだ!!!
この180度違う当時の非常識が思いつき実行出来るかが、天下を取れるか取れないかの差であろう。
これらを踏まえて史跡を訪ねると、趣も一段とあがるものである。
だから歴史は楽しいのだ。
まあ、面白かったが、漫画では未だ終わっていないと言うことで、アニメとして一応の終結?ではあったが・・・
さて、VODで何故か今更ですが"天地人"を観始めた・・・
しかし、NHKの直江兼続の持ち上げようが笑ってしまう。
「天下を狙える位置にいながら主君上杉景勝に尽くした」と言っているが、私には意味不明な言葉である。
天下を狙える位置って、はっきり言うが、直江兼続にそれだけの力は無い!!!
では、己の兵力はどれぐらい持っているのか?
上杉景勝でさえ、徳川家康公や秀吉殿下の足下にも及ばない。
徳川旗本八万騎、徳川譜代家臣が大名となった配下を入れれば、横綱と褌担ぎ以上の開きがある。
直江兼続は確かに優秀だったが、これって今で言えば町一番の秀才が、鳴り物入りで東京に出てきたらただに人ぐらいであろう・・・
だが、大河ドラマ天地人の最初で違和感があったのは、関白殿下が上杉景勝と直江兼続を天守から見下ろす場面があったが、殿下の横に石田三成が立っていた。
追々、たかが奉行ごときが、関白の横で腕組みして立っているって意味不明である!!
その場で打ち首者の無礼である。
主君と同列などあり得ない!!!
主君が立ていたら控える家臣は最低でも片膝付きである。
今でも、社長の横にいる部長が腕組みして立つか!?
今でも米沢に行ってみれば分かる・・・
貧乏くさいちんけな町である(あくまで個人的感想)
昔米沢城跡に隣接するステーキ屋で食べた折、城が小さいと言ったら「済みません、米沢は貧乏なので・・・」と言い返されたのを覚えている。
この米沢城趾は伊達政宗が生まれた場所だ。
戦国時代、「群雄割拠して天下を目指していた」は嘘である。
戦国大名は自分の領地の死守と「隙あらば領土を増やしたい」としか思っていなかった。
間違いなく本気で天下を目指したのは織田信長だけである。
そもそも長尾景虎(上杉謙信)って気持ち悪いとは思わないか?
毘沙門天に生涯独身を誓うって意味不明である。
大名の一の責務は、世継ぎを儲けることである。
この時代、子供の死亡率が高かったから、多くの女性に多くの男子を産ませたのだ!!!!
景虎の生涯独身宣言は、この時代の常識から見れば"変人"そのものである。
これには"長尾景虎=女性"説があるのだ。
私も女性説に一票を入れたい。
処女であった可能性が高く、子供を産んだことの無い女性は子宮癌のリスクが高いことを考えると、多分子宮癌で亡くなったと思う・・・
しかし、長尾景虎の家臣であったら、これほど辛いことは無い。
"義"による戦だ!!!と寝ぼけていやがるが、これって「ただ働きしろ」と同義語である。
戦には金が掛かる。
これは今も昔も変わらない。
昔の大名の考えだと越後国は長尾景虎が君臨している。
その家臣等に越後の地域を与え統治させていた。
一度戦となれば、城主達は自らの領地から徴兵して春日山城へはせ参じるわけだが、全ては自費である!!!
それに引き替え、織田軍は基本的に常備軍(傭兵)であるから、全ての費用は織田家持ちである。
実は越後は一枚岩でなく、常に家臣の反乱に悩まされていたというし、これは武田家も同じである。
だからこそ、川中島のイベントが重要であったのだ。
第四次川中島決戦は信長の謀略により「リアルガチ」になったのだ。
但し、川中島のイベントは長尾景虎と武田信玄の本人意外は知らなかったと言える・・・
それに、そもそもこの時代、賑わう町など無かったのだ!!!
だから、領主が商人に「毎月市を開け」と命じたから五日市、六日市、十日市という名が残っているのだ。
これは毎月五の付く日に市を開けという命の名残である。
これをまともな町を作ったのは織田信長である。
京の都以外は人が集まっていなかった・・・
信長は家臣(重臣)に「城下に住め」と命じたのだ。
重臣等は地方に領地が有り、皆そこに住んでいて、招集命令が出て初めて城に集まってきたのだ。
これを常に城下に住まわせれば、重臣の家族、郎党、女中、下働きとうも城下に住むようになるし、信長は常備軍を備えていたので、常に彼らは城下に住んでいた。
城下に人が常に集まっていたら商人等も命じられるまでもなく、定住して商いをするのだ。
こうやって今で言う城下町の基礎が形成されたのだ。
信長はこの商人達から税を徴収した。
傭兵を多く養うためには年貢で無く現金が必要であったから、どうしても重商主義にならざるおえなかった。
江戸時代初期に、松平忠輝はこの地を拝領したが、春日山城などを使わずに高田城を築城して城下町を作ったのだ。
私も昨年春日山城に行ってきたが、感想は「この城にいては天下統一はできなな・・・」である。
眺めは抜群であるが、統治には適していない・・・
上杉謙信や武田信玄の軍勢で1000名戦死となると大騒ぎだが、織田軍の1000名戦死はたいした問題で無い。
「1000人新兵募集」で良いのだ。
現代と違い、遺族年金などないのだから、10万人の常備兵を持っていれば1000名死んでも1000名募集でも人件費が同じである。
謙信、信玄の兵士とは領民であるが、信長にとっては只の駒であり、金でいくらでも補充可能なのだ!!!
この180度違う当時の非常識が思いつき実行出来るかが、天下を取れるか取れないかの差であろう。
これらを踏まえて史跡を訪ねると、趣も一段とあがるものである。
だから歴史は楽しいのだ。