水戸黄門と言えば、子供の頃に祖母と一緒にTVを観ていた記憶がある。
何と言っても東野英二郎が填まり役だったと思う。

しかし、大きな勘違いが、水戸黄門こと水戸藩元藩主徳川光圀公を主人公としたフィクション時代劇である。
詰まり、"仮面の忍者赤影"と同じである。
余談だが、赤影役を演じていて故坂口祐三郎氏が、光圀の子の徳川綱條(つなえだ)公を演じていた。
「ああ、赤影だ」と言ったのを覚えている。

さて、先ず江戸時代に"副将軍"という役職は存在していない。
実は水戸黄門も最初のシーズンは"前の中納言"と言っているが、あるときから"前の副将軍"となっていた。
又、石坂浩二が光圀を演じた折、江戸時代に忠実にと言って髭をなくして演じていた。
実は江戸時代、侍は髭を生やすことを法で禁止されいた。
しかし、水戸黄門では既に隠居していたので、生やせたと思われるが・・・

父は初代水戸家藩主徳川頼房であるが、実は光圀は水子にされるはずであったが、光圀の母久子を預かっていた家老が忍びなく思い主君に内緒で生ませたらしい・・・
水戸生まれ水戸育ちである。
光圀五歳の折、頼房に会ったが、頼房は光圀の器の大きさを知ったらしい。
一説には、兄弟が揃って父と食事をしていて鯛の焼き物がでた。
皆は普通に食べていたが、光圀は「備前近う。これを取らす」といって付け家老でる中山備前に鯛を与えた。
備前をひれ伏しながらその鯛を頂いた言う。
これをみて次期藩主と決めたという。

私の友人に讃岐松平の血筋の奴がいる。
奴には光圀の血が流れている。
光圀は実母の兄を差し置いて水戸家を継いだことも生涯後悔していたという。
兄は分家として高松藩主となるが、その子供を交換したのだ。
実は、光圀は子供を作る気がなかったという。
子がなければ兄の子を養子に出来ると思ったらしい。
しかし、奥女中に手を付け、その女性が懐妊した。
光圀はそれを知って「水子にせよ」と家臣に命じたという。

家臣は考えあぐねて高松藩主松平頼重に相談すると、「藩邸につれて参れ」と言われ、高松藩邸で生まれたという。
後のそれを知った光圀は、兄の子を養子に頂きそれが綱條公というわけだ・・・

さて、光圀は5歳で水戸藩世嗣となったが、この時に従五位上左衛門督である。
何と遠山金さんこと遠山影元は遠山家を継いだとき従五位下左衛門尉であったので、5歳のガキの方が官位は上である。
13歳の時に従三位右近衛中将であった。
はい、この時点で地位は征夷大将軍を抜いています!!!!
征夷大将軍は四位である。

藩主になったときには"参議"であるので間違いなく殿上人である。

さて、史実は光圀は、江戸と水戸の往復と日光東照宮、鎌倉そして熱海までしか行っていない。
熱海は、父が病の折に御本丸様(家光公)より公方様の熱海の別荘へ湯治に行けと薦められたという。


さて、フィクションに戻るが、もし地方の役人衆と助さん、格さんが乱闘となり、万が一助さんか格さんが手に傷を負ったら、追わせた奴は即切腹である。
これも法である。
御三家は他の大名家より格式が高いため、その家臣共も特権が与えられたいた。
それが、喧嘩両成敗でなく御三家藩士贔屓となっていた。

光圀は、元禄3年(1690)に63歳で隠居している。
隠居した翌日に権中納言に任ぜられていた。
権とは"副"と言う意味である。

隠居して中納言と言うことは、「こちらに居わすお方を何方と心得る? 畏れ多くも前の中納言水戸光圀公にあらされる」は間違っている???
前の中納言でなく現中納言となるではないか!?
光圀は牧場を作り、ラーメンを食し、チーズ、牛乳や豚肉、牛肉等も好んで食べていたという。

享年73歳(満71歳)で他界している。

余談だが、明治2年の従一位、明治33年には正一位を送られている。
詰まり、徳川光圀公は神となったのだ。

現代でも我々を楽しませ続けくれる光圀公に頭が下がる。