日本人は面白い特質があるともう。
私もそうだが、ヒーローものには"敵方美形キャラ"とうものが存在して、時にその敵方キャラが主役以上に高感度で好きなることがある。
宇宙戦艦ヤマトならば、ガミラス帝国アベルト・デスラー総統、機動戦士ガンダムならば、シャー・アズナブル、新造人間キカイダーならばハカイダーである。
仮面ライダーのショッカーの怪人や戦闘員が魅力的である。
詰まり、敵が魅力的でなければ、ヒーロー自体が目立たないということである。
これは何も今に始まったばかりでなく、大和民族のDNAに書き込まれている気がする。
その行為を我々は「判官贔屓」と呼んでいる。
この判官とは、源義経が朝廷から貰った官位で、兄頼朝公を激怒させた行為であった。
義経と言えば、壇之浦の合戦で、源平戦を終結させ、平氏を滅ぼした立役者と思っている人が多いが、これは間違っている。
そもそも"源平の戦"自体が無かったのだ!!!!
ここでお復習いだが、日本には古来より"氏"というのがある。
この氏は5つある。
源、平、藤原、橘、豊臣である。
豊臣は氏であって姓ではないのだ。
これを理解しないと日本史は見えてこず、単なる年号の暗記となってしまう。
だから、「羽柴秀吉は朝廷より豊臣の姓を賜った」は間違いである。
正しくは「羽柴秀吉は天皇より豊臣の氏を賜った」である。
現代人はこの"氏と姓"が同じだと思っている。
"氏名"というので勘違いしてしまうが、本来「氏名は?」と尋ねられたら私は「源朝臣○○です」である。
そこで勘違いする根本を考察する。
源頼朝は"源氏"の本流であるので、源の氏で呼ばれているが、もし負けていれば間違いなく「伊豆の頼朝」と呼ばれていたはずだ!!!
前にも書いたが、日本には氏が5つしか存在しないので、何処の誰だが分からなくなるから、地名で呼んだのだ。
私の親戚だが、姓は皆同じだから住んでいるところで呼んでいた。
「白金の伯父さん」「逗子の伯父さん」等である。(余談だが、白金は"しろかね"と読む、"じろがね"と発音する輩は田舎ものである)
詰まり、同じ源氏でも"木曾の義仲"、"足利尊氏"、"新田義貞"という具合に領地がある地名を名乗った。
これを字名(あざな)と言ったらしいく、あだ名の走りだと思う・・・
詰まり負けたのは伊勢平氏であり、これが平清盛の家系である。
だから、北条氏の伊豆平氏はこの後鎌倉時代を治めたのだ。
前置きが長くなったが、義経が頼朝に嫌われた理由は、なにも彼の武功に嫉妬したわけでなく、彼の政治思考停止の馬鹿さ加減に愛想を尽かしたのだ。
頼朝は、平将門公依頼、「武士の武士のための政」を成功させようと頑張っていたのだ。
「朝廷対幕府」である。
これ以降、明治維新まで日本は武家が天皇を初めとした公家の上に君臨する礎を築いたのだ。
官位は幕府が授けると定めたのに、鎌倉殿の舎弟が直接上皇より官位を授かっては武士の新政権を揺るがしかねない・・・
朝廷側はそれを狙っていたはずだが・・・
私は義経が尼崎あたりから奥州へ逃亡出来たのは頼朝の戦略であったと思う。
だから加賀国での有名な勧進帳も実は端から義経一行を逃がす命令が来ていたと思う。
頼朝としては何が何でも義経を奥州藤原の地へ行かせたかったのだ。
だから、奥州へ逃げ込むように"囲い猟"の罠を張り、自然と奥州へ行かせたはずだ。
何故か?
頼朝は父祖の怨みの地である奥州と藤原一門壊滅を企んでいた。
詳しくはNHKの昔やった大河ドラマ"炎たつ"を観て欲しい・・・
奥州藤原討伐の大義名分が必要であったから、謀反人義経を奥州で匿わせ一気に叩く作戦であった。
その為に現代でも大きな勘違いの"征夷大将軍"を任官したのだ。
頼朝は正当な理由で奥州征伐する為に、朝廷から征夷大将軍を任官したのだ。
この時、頼朝は右大臣であったから、征夷大将軍は遙か雲の下の役職であった。
これも、幕府の長だという勘違いが現代に至っている。
日本人はこの謀反人源義経が好きである。
悲運という理由でである・・・
つづく
私もそうだが、ヒーローものには"敵方美形キャラ"とうものが存在して、時にその敵方キャラが主役以上に高感度で好きなることがある。
宇宙戦艦ヤマトならば、ガミラス帝国アベルト・デスラー総統、機動戦士ガンダムならば、シャー・アズナブル、新造人間キカイダーならばハカイダーである。
仮面ライダーのショッカーの怪人や戦闘員が魅力的である。
詰まり、敵が魅力的でなければ、ヒーロー自体が目立たないということである。
これは何も今に始まったばかりでなく、大和民族のDNAに書き込まれている気がする。
その行為を我々は「判官贔屓」と呼んでいる。
この判官とは、源義経が朝廷から貰った官位で、兄頼朝公を激怒させた行為であった。
義経と言えば、壇之浦の合戦で、源平戦を終結させ、平氏を滅ぼした立役者と思っている人が多いが、これは間違っている。
そもそも"源平の戦"自体が無かったのだ!!!!
ここでお復習いだが、日本には古来より"氏"というのがある。
この氏は5つある。
源、平、藤原、橘、豊臣である。
豊臣は氏であって姓ではないのだ。
これを理解しないと日本史は見えてこず、単なる年号の暗記となってしまう。
だから、「羽柴秀吉は朝廷より豊臣の姓を賜った」は間違いである。
正しくは「羽柴秀吉は天皇より豊臣の氏を賜った」である。
現代人はこの"氏と姓"が同じだと思っている。
"氏名"というので勘違いしてしまうが、本来「氏名は?」と尋ねられたら私は「源朝臣○○です」である。
そこで勘違いする根本を考察する。
源頼朝は"源氏"の本流であるので、源の氏で呼ばれているが、もし負けていれば間違いなく「伊豆の頼朝」と呼ばれていたはずだ!!!
前にも書いたが、日本には氏が5つしか存在しないので、何処の誰だが分からなくなるから、地名で呼んだのだ。
私の親戚だが、姓は皆同じだから住んでいるところで呼んでいた。
「白金の伯父さん」「逗子の伯父さん」等である。(余談だが、白金は"しろかね"と読む、"じろがね"と発音する輩は田舎ものである)
詰まり、同じ源氏でも"木曾の義仲"、"足利尊氏"、"新田義貞"という具合に領地がある地名を名乗った。
これを字名(あざな)と言ったらしいく、あだ名の走りだと思う・・・
詰まり負けたのは伊勢平氏であり、これが平清盛の家系である。
だから、北条氏の伊豆平氏はこの後鎌倉時代を治めたのだ。
前置きが長くなったが、義経が頼朝に嫌われた理由は、なにも彼の武功に嫉妬したわけでなく、彼の政治思考停止の馬鹿さ加減に愛想を尽かしたのだ。
頼朝は、平将門公依頼、「武士の武士のための政」を成功させようと頑張っていたのだ。
「朝廷対幕府」である。
これ以降、明治維新まで日本は武家が天皇を初めとした公家の上に君臨する礎を築いたのだ。
官位は幕府が授けると定めたのに、鎌倉殿の舎弟が直接上皇より官位を授かっては武士の新政権を揺るがしかねない・・・
朝廷側はそれを狙っていたはずだが・・・
私は義経が尼崎あたりから奥州へ逃亡出来たのは頼朝の戦略であったと思う。
だから加賀国での有名な勧進帳も実は端から義経一行を逃がす命令が来ていたと思う。
頼朝としては何が何でも義経を奥州藤原の地へ行かせたかったのだ。
だから、奥州へ逃げ込むように"囲い猟"の罠を張り、自然と奥州へ行かせたはずだ。
何故か?
頼朝は父祖の怨みの地である奥州と藤原一門壊滅を企んでいた。
詳しくはNHKの昔やった大河ドラマ"炎たつ"を観て欲しい・・・
奥州藤原討伐の大義名分が必要であったから、謀反人義経を奥州で匿わせ一気に叩く作戦であった。
その為に現代でも大きな勘違いの"征夷大将軍"を任官したのだ。
頼朝は正当な理由で奥州征伐する為に、朝廷から征夷大将軍を任官したのだ。
この時、頼朝は右大臣であったから、征夷大将軍は遙か雲の下の役職であった。
これも、幕府の長だという勘違いが現代に至っている。
日本人はこの謀反人源義経が好きである。
悲運という理由でである・・・
つづく