歴史的な謎として、木下藤吉郎は何故豊臣秀吉になれたのか?

天正10年に朝廷から信長公へ三職推任を申し出たとされる。
三職とは、関白、太政大臣、征夷大将軍だという。
私は、これは後世の作り話だと思う。
何故ならば、この三職は"="ではないからである。
先ず征夷大将軍だが、これは余りにも身分が低すぎる。
信長公は当時すでに右大臣であったので、征夷大将軍では遙か雲の下である。官位は四位である。
太政大臣は正に位人臣を極めた役職で、官位は一位であるのは言うまでもない。
では関白だが、関白は官位など無いのだ。
何故ならば、準皇族になるのであるから、尊称は"殿下"となる。

この三職から選べということは、"金の斧"的な話である。
貴方の落としたのはこの金の斧ですか?
それとも銀の斧ですか?
いいえ、私のは単なる鉄の斧です。
何と正直者でしょう、これら全てを与えましょう。
である。

本当であれば、朝廷は信長公に「関白太政大臣兼征夷大将軍を受けてください」とくるべきであろう。

さて、先ほども書いたが、秀吉殿下(身分は準皇族のため公は間違えである)は、百姓から準皇族になったのだ。

又々、前置きを書くが、豊臣とは姓ではないのだ。
豊臣とは氏である。
氏と姓は違うのだ。
「氏素性も分からぬ奴」というが、この氏とはそれまで日本には四つしか存在しなかった。
源氏、平氏、藤原氏、橘氏である。
身分ある者は、この四つの氏のどれかに繋がるのだ。
私は、源氏と藤原氏の血を引いているが、まあ全ての血が混ざっているのは間違いないが・・・

さて、ここで鼠禿(信長公が秀吉殿下を呼んでいたとう。猿とは後世の作り物であるらしい)が、何故豊臣氏を天皇から頂いたかである。

関白職はそれまで、五摂家持ち回りであった。
近衛前久の
猶子(養子よる緩い親類関係)となり関白職を得たが、次のこの関白職を鼠禿が独占したくなったのだ。
そこで、天皇を巻き込んで新たなる氏である豊臣を創設して、「今後関白職は豊臣で独占する」宣言をしたのだ。

余談だが、間違った解釈あるので紹介するが、上杉家家臣直江兼続に叙任した折、豊臣兼続と記してあるのを「自らの姓を名乗らせるとは!!!!」であるが、豊臣と姓で無く氏であるので、豊臣朝臣兼続であるのだ。
直江兼続はそれまで無位無冠であったので、位を授ける場合、氏が必要であったので藤原で無く豊臣にしたのであろう。

ここ迄が今回の前置きであるが、本題は豊臣秀吉は忍者であった!!!である。
信長公の愛した女性に生駒吉乃という女性がいた。
彼女の住まいは生駒屋敷と呼ばれ、豪商であったらしい。
塩や油で巨万の富を生んだり、屋敷自体が各地の商人が集った場所とも言われている。
詰まり、各地の情報が集まる場所である。
彼女が紹介した下人が秀吉であった。

彼は情報に明るく、人を籠絡するのに長けていたし、事実信長正規軍が苦戦した稲葉山城攻略を数人の手勢で場内に進入し、門を開門して勝ち戦に導いてる。
何よりも、墨俣一夜城である。
木曽山中である程度城を作ってから、それをパーツごとに木曽川に流し、墨俣で組み立てるという今で言うプレハブ工法である。
こんな事を思いつく自体、通常の人間だとは思えない。
詰まり彼は忍者であったというのだ。

さて、先日川中島の合戦について書いたが、武田方は4000人戦死し、軍勢立て直しまで10年近く掛かっている。
しかし、信長軍は喩え4000人失っても補充は簡単に効くのだ。
通常の大名家の足軽は領民であって、徴兵される。
だから、死者分を補充するには次世代が育つまで待たねばならない。
無理矢理再徴兵することも可能ではあるが、農作業の質両の低下は否めない。
しかし、信長軍は徴兵で無く傭兵であるので、金で集まるから限度が無いのだ。

そして、私は何故木下藤吉郎が羽柴秀吉になれたか?この答えがここにあると思うのだ。

幾ら金で兵を雇うと言っても、ただ命を差し出す馬鹿はいない。
だが、成功例を見せられると、人は動いてしまうのだ。

カジノでもそうだが、勝って大金を手にしている人を見るから、「よし自分も!!!」となり大金を使ってしまうのだ。

「羽柴秀吉、足軽から侍大将になった男」を全面に宣伝すれば、第二の秀吉を目指し、地位と金を求めて多くの強者が織田家に集まってきたのだ!!!
「ゴミのような人生を生きるぐらいなら、一か八か命を掛けて大名を目指せ!!!」

信長恐るべしである