フランスのルイ16世の王妃であったマリー・アントワネットが、1793年10月16日にパリのコンコルド広場で公開処刑により38歳の若さで断頭台の露と消えた。
これは歴史で習ったものであるが、事実は違っているようだ。

断頭台に登ったのは、替え玉であったという・・・
実はこれには科学的根拠があり、彼女の遺体は死後歴代王家の埋葬地であるサンドニー大聖堂に安置された。

その時、彼女の以外のDNAと息子ルイ17世のDNAとが一致しなかったという・・・
まあ、ありがちである・・・
何と言っても、今と違って平民は王妃の顔など知らないからである。

そして、私が不思議に思っていたのは"島原の乱"である。
何故、たかだか農民とキリシタンの一揆に、幕府軍が乗り出しのか?
その鍵を握っているのは、天草四郎である。
実は天草四郎は、豊臣秀頼の息子であるという説がある。
幕府側の人間が書いた"耶蘇天誅記"という書物があり、これに天草四郎は豊臣家の人物で、秀頼の落とし子であると書かれている。

そうなると、原城で死んだ死骸をことごとく潰したのも理解出来る。
幕府の目的は、豊臣家根絶やしであったのだ。

通説の島原の乱は隠れキリシタンの反乱では無く、豊臣家による乱であったのだ。

因みに、天草四郎が死んだあとに、母親を詰問すると息子は南蛮か呂宋(ルソンとはフィリピンのこと)にでも行ったと答えたという。
そして、ルソンで第二の豊臣政権を樹立して、幕府に対して巻き返しを図っていたというのだ。

これだから歴史は面白いのだ。
原城跡を見てみたいものである。