昨日、西鋭夫先生の講演のビデオを観て、目から鱗が落ちた。
そこで今日は、明治維新に付いて考察してみよう。
明治維新とは、旧幕藩体制を倒し新たに日本を近代化、文明開化させた革命である。
旧幕藩体制の薩摩藩、長州藩、土佐藩が主となってなしえたのだ。
そして、そこに登場するのが、坂本竜馬であり、三菱の創始者である岩崎弥太郎である。
では何故、薩長土は幕府を倒せたのであろうか?
私は常々明治維新の元勲第一は、紛れもなく勝海舟であるといえる。
ここで先ずは長崎の観光名所であるグラバー低の主人トーマス・ブレーク・グラバーについて語らねばならない。
その前に、当時の詰まり19世紀の世界情勢を理解しないと、何も見えてこない。
そして、実は明治維新と現在の中東情勢との関わり合いも見えてきてしまうのだ。
では時は16世紀まで戻るが、戦国時代末期、日本には南蛮人(カトリックでスペイン人やポルトガル人)と紅毛人(プロテスタントでオランダ人やイギリス人)が日本に大挙していた。
貿易であるが、中でもお茶や茶器がヨーロッパで大人気となった。
ポルトガルのキャサリン王女がイギリスへ嫁いだときにお茶の文化をイギリスへと持ち込んだ。
瞬く間にイギリスでお茶ブームが広がったが、この緑茶がたまたまイギリスに到着したときに発酵していて茶葉が黒くなっていたのだ。
だからイギリスで紅茶を_"Black Tea"と呼ぶのである。
紅茶を知ったイギリス人は麻薬のように紅茶の虜となった。
そして、当然貴族達は競って茶器(ティーカップ類)を求めるようになった。
陶磁器は日本や中国から買うしか無かったのだ。
時は流れ18世紀から19世紀前半、世界一の金持ちは清朝の皇帝であった。
イギリスは清国から紅茶と磁器を大量に購入していたが、清朝は銀貨本位制であって、イギリスの持っている金貨は受け付けなかったのだ。
だから、わざわざメキシコの一ドル銀貨(ドルとはメキシコが紀元であったという)を金貨で両替してから清朝に支払っていたという。
こんな事は長続きせずに、等々国家破綻するぐらいに清朝への貿易赤字が増えたという。
イギリスは綿や羊毛を清朝に売りつけようとしたが、貧乏なイギリスと違って清朝の皇帝や貴族、金持ちは絹を纏っていたから、粗悪な綿製品や羊毛製品が必要なかったのだ。
するとミイラ取りがミイラになった。
イギリスも絹が欲しくて欲しくてで、更に貿易赤字が溜まっていった。
そんな折、イギリスは刃向かうインド人を皆殺しにし、多大な犠牲を払ってインドを手に入れ植民地とした。
そこで芥子を発見した。
芥子の実から阿片を作っていたのだ。
そして、その阿片を清王朝の後宮へ納入しているのをしったのだ。
当時は高貴な身分の女性が、阿片を飲物に混ぜて飲んでいたという。
それに目を付けたイギリスは、この阿片を支那に売り付けることを画策して実行した。
支那人が阿片中毒になるまで然程時間は掛からなかったようだ。
つづく
そこで今日は、明治維新に付いて考察してみよう。
明治維新とは、旧幕藩体制を倒し新たに日本を近代化、文明開化させた革命である。
旧幕藩体制の薩摩藩、長州藩、土佐藩が主となってなしえたのだ。
そして、そこに登場するのが、坂本竜馬であり、三菱の創始者である岩崎弥太郎である。
では何故、薩長土は幕府を倒せたのであろうか?
私は常々明治維新の元勲第一は、紛れもなく勝海舟であるといえる。
ここで先ずは長崎の観光名所であるグラバー低の主人トーマス・ブレーク・グラバーについて語らねばならない。
その前に、当時の詰まり19世紀の世界情勢を理解しないと、何も見えてこない。
そして、実は明治維新と現在の中東情勢との関わり合いも見えてきてしまうのだ。
では時は16世紀まで戻るが、戦国時代末期、日本には南蛮人(カトリックでスペイン人やポルトガル人)と紅毛人(プロテスタントでオランダ人やイギリス人)が日本に大挙していた。
貿易であるが、中でもお茶や茶器がヨーロッパで大人気となった。
ポルトガルのキャサリン王女がイギリスへ嫁いだときにお茶の文化をイギリスへと持ち込んだ。
瞬く間にイギリスでお茶ブームが広がったが、この緑茶がたまたまイギリスに到着したときに発酵していて茶葉が黒くなっていたのだ。
だからイギリスで紅茶を_"Black Tea"と呼ぶのである。
紅茶を知ったイギリス人は麻薬のように紅茶の虜となった。
そして、当然貴族達は競って茶器(ティーカップ類)を求めるようになった。
陶磁器は日本や中国から買うしか無かったのだ。
時は流れ18世紀から19世紀前半、世界一の金持ちは清朝の皇帝であった。
イギリスは清国から紅茶と磁器を大量に購入していたが、清朝は銀貨本位制であって、イギリスの持っている金貨は受け付けなかったのだ。
だから、わざわざメキシコの一ドル銀貨(ドルとはメキシコが紀元であったという)を金貨で両替してから清朝に支払っていたという。
こんな事は長続きせずに、等々国家破綻するぐらいに清朝への貿易赤字が増えたという。
イギリスは綿や羊毛を清朝に売りつけようとしたが、貧乏なイギリスと違って清朝の皇帝や貴族、金持ちは絹を纏っていたから、粗悪な綿製品や羊毛製品が必要なかったのだ。
するとミイラ取りがミイラになった。
イギリスも絹が欲しくて欲しくてで、更に貿易赤字が溜まっていった。
そんな折、イギリスは刃向かうインド人を皆殺しにし、多大な犠牲を払ってインドを手に入れ植民地とした。
そこで芥子を発見した。
芥子の実から阿片を作っていたのだ。
そして、その阿片を清王朝の後宮へ納入しているのをしったのだ。
当時は高貴な身分の女性が、阿片を飲物に混ぜて飲んでいたという。
それに目を付けたイギリスは、この阿片を支那に売り付けることを画策して実行した。
支那人が阿片中毒になるまで然程時間は掛からなかったようだ。
つづく