昨日たまたま観ていたBSのチャンネルで、面白い番組があった。
明智光秀が織田信長を討った俗に言う"本能寺の変"だが、その真相が明らかになった。

私の説ともリンクしていてスッキリとした。

先ず、私の疑問であったのが、当時の戦国大名の常識は兵隊は自国領民からの徴兵であって、給料は払わない!!!を信長は、初めて兵士に給与を払う常備軍を作った。
これは今の軍隊と同じであり、豊臣秀吉、明智光秀、柴田勝家等は軍団司令官であって、一兵卒に至るまで武将の家臣でなく全ては信長の家臣であった。
それが、何故信長を討つのに、誰一人として「否」を唱えなかったのか?
「敵は本能寺にあり」とは、明智光秀の有名な言葉であるが、問題はこの"敵"なのだ。
敵とは誰か?

先ず、天正10年6月2日(1582年6月21)であるが、これは本能寺の変が起こった日であるが、この時点で「織田信長公の最大の敵は誰であるか?」を考えれば解るのだ。
実は毛利は既に風前の灯火であった。
信長公が中国へ行けば、中国地方の平定は時間の問題であって、その後の九州も大友氏、島津氏もあっという間にやられるのは見えている。
詰まり敵になるか恭順するかであるが、間違いなく恭順するはずである。
ならば、最大の敵は?
答えは「徳川家康」である。

何故か?
羽柴秀吉や柴田勝家は織田家の臣下であり、毛利や大友、島津も「恭順する」=「臣下」であるが、徳川家は臣下でなく同盟者であり、"兄弟"であるのであくまで同列なのだ。
兄、弟の関係はあるが、臣下でない。
これは将来を考えれば、信長の天下(支那平定後のアジア支配)の青写真からしてみれば徳川家は邪魔な存在である。
消すなら徳川家がこれ以上力を持つ前にしなければならない。

では織田徳川同盟がどうして成り立ったか?
それはお互いの力がまだ他社を圧倒しておらず、信長は京都へ行くために浅井朝倉、六角、三好等々の強大な敵に対峙せねばならず、戦国時代最強と謳われる武田氏と戦う余裕がないので、徳川家を緩衝地帯として利用することであった。
徳川家にしてみても、今川家、武田家、北条家で手一杯で、三河より西と対峙は出来なかった。
奇しくも同じ条件の織田、徳川家の相互事情で互いに背中合わせになり真向かいの敵と戦うという状況であった。
所が天正10年には織田家は、日本最大の大名となっていて、当初の最大懸案事項であった武田家が数ヶ月前に滅亡している。
詰まり、信長にしてみれば、自分の背中を撃つ奴がいなくなったのだ。
そうなると気掛かりなのが、背中合わせの相手が斬りかかってくる恐れである。

そう、天正10年は織田信長公にとって、徳川家康公は無用の人物というより目障りな人物となっていた。

だから、安土城へ家康を招き、そこで暗殺する計画であったという。
当然信長側は暗殺計画をするのであるから、バックアップは用意ししてある。
安土城で失敗したら京という具合であったが、何も背中を心配していたのは信長だけなく家康自身も信長排除を考えていたに違いない。

家康は光秀と通じていて、信長側の動きを逐一知っていたはずだし、徳川家は忍集団を抱えていた。
忍は信長から徹底的な弾圧を受けていて、徳川領に非難してきて家康を頼っていたから、多くの間者が織田領や京の都に潜入していたはずである。

安土城での家康の接待役は明智光秀であり、どの椀に毒が入っているかも知っていたから、わざとその椀が出たときに信長の勘気を買って膳をひっくり返させたりしたのであろう。

次が本能寺である。
本能寺には信長は小姓30名ほどで入ったが、通説では「信長の油断」とされているが、家康を本能寺まで誘き寄せるためには自らの手勢は少なくしておかねば家康ものこのことはやってこない。
だから家康の手勢より少なくする必要があった。

そして、予め光秀に家康を討つ手勢を率いて本能寺に来るように命じていた。

信長公の最後の言葉として「光秀か、是非も無い」と言い伝えられいるが、実はこれには続きあり「余の死は、余自らが招いてしまった・・・」となっている。
何故信長公最後の言葉が分かるのか?と疑問に思うが、実は一人だけ生き残った小姓がいたのだ。
彼の名は"彌助"といい、身長が180センチ以上の大男で、アフリカ系黒人であった。
彌助は、数年前にイエズス会から奴隷として信長公に献上されていたが、その頭脳明晰にさ故に信長公に可愛がられ小姓となっていた。
最後に明智軍に「お前は日本人で無いから降伏すれば命は助けてやる」と言われイエズス会へ引き渡されていた。
イエズス会の神父等が事情聴取して公文書といて現代もスペインかローマ(忘れた)に文書が残っているという。

信長公が家康公の暗殺を企てていたことは私の推測で無く、ルイスフロイドがローマに送っていた公文書に「信長が三河国の国王家康を暗殺しようとしている」と書かれている。

家康は信長が思った以上に出来る男で、陰謀策謀も天下一品であったに違いない。
だからこそ、信長に怨みを持っている光秀に近づき彼を味方に引き入れた。
やられる前にやったのだ!!!!

その後、光秀は天海大僧正として、日本の平和の礎を築いたのだ。