最近改めて日本人は、日本の近現代史を学ぶ必要性を感じている。

ペリー率いる黒船が下田に来てから日本の幕開けだと思っていると、日本の歴史学会の馬鹿共のように単なる歴史の羅列に過ぎなくなる。

何故日本史を経験する人が多いというと、私が学生時代は、とにかく「日本史は年号を覚えるのが大変」と言われていた。
それは意味ないことで、全て無駄である。
年号などはググれば済むことで、大切なことは流れである。
ペリーが来た理由があって、その流れを理解せねば歴史の面白さは理解出来ない。

私も知らなかったが、日本の近現代史とそれ以前を分けるとしたら? それはヨーロッパとの本格的な関わり合いを持ち始めたときからはじまり、日本が日本列島だけで他者を排除して住むことが出来なくなったときである。
それまでも遣唐使とうを支那に派遣していたが、それだけの付き合いであった。

「1549年にフランシスコ・ザビエルのキリスト教伝来に始まる」となっているが、これがそもそもの間違いである。
我々は少し宗教に疎すぎるから"キリスト教"と一言でかたづけてしまうが、その中に正教会とローマ教会に別れる。
そして、ローマ教会もローマカトリックとプロテスタントがあり、凄惨な殺し合いをしていた。

これが所謂30年戦争と言われ1618年~1648年まで続いた。
この戦いも実は日本に影響していたのだ。

さて、1549年に日本に伝来したのは"カトリック"が正解であり、"キリスト教"自体は奈良時代以前に日本に来ている。
だから、聖徳太子は馬小屋で生まれ、厩戸皇子と呼ばれていた。

豊臣秀吉は伴天連を追放した。
伴天連とはカトリックの事で、カトリックは布教活動をして信者を増やしてからその地を征服する手法を採っていたが、プロテスタントは布教をせずに交易のみをしていた。
後の江戸幕府も伴天連を禁止しただけで、キリスト教自体は禁止していない。
だから、プロテスタント国とは交易を続けていた。
スペイン・ポルトガルは当時世界の中心であり、ポルトガルのお茶文化がイギリスに渡り、アフタヌーンティーへと進化したという。
この時、ポルトガルで飲まれていたのは、日本茶である。
そう考えると、カステラに日本茶が合うのも妙に頷ける・・・

さて、イギリスにお茶を伝えたのは、ポルトガルからイギリス王家に嫁いだお姫様なのだが、実は後にこれがイギリスと幕府に関わってくるのだ。

元禄時代に、イギリスの特使が日本に来て幕府に対して交易再開を願い出たが、幕府は許可しなかった。
その理由が「イギリスの国王の后は伴天連である」であった。

"鎖国"というが、こんな情報まで持っている幕府が鎖国していたと思うか?
マリー・アントワネットがルイ16世に嫁いだときに輪島塗の漆器を嫁入り道具として持っていった事実もある。

本当に日本人は自国の歴史を知らなすぎる!!!!

つづく