今年から相続税法が変わり、多くの人々が課税対象となった。
これで我々の悩みが少しは分かって戴けると思う・・・
しかし、不思議ななのが、馬鹿政治家もこちらに相続税対策で来るし、元首相の中曽根も相続税対策をハワイでやったが、不思議なのが政治家なのだから「相続税廃止」を何故検討しないのか?
法律で廃止してしまえば良いのに、自ら相続税のグレーを攻めるって意味不明である。
今日は少し話をそらせて、幕府の違いを見てみよう。
幕府の違いと言っても面白いのは相続方法である。
鎌倉幕府時代はまだ大名が存在していないので、御家人と呼んだ。
江戸時代は御家人と言えば、御本丸様にお目見え出来ない軽輩をさしたが、鎌倉時代は大名を指したみたいである。
因みに私は征夷大将軍つまり将軍とは呼ばない。
何故ならば、江戸時代はそう呼んでいなかったからである。
私のブログの読者ならばもうご存じだと思うが、征夷大将軍とは身分が低い。
日本国発の征夷大将軍は、坂上田村麻呂であうが、彼は後に参議から大納言になったが、位は正三位であった。
徳川宗家の歴代はこれ以上で、皆大臣職を頂いていたから、位は三位以上であったし、坂上田村麻呂以降は征夷大将軍は四位の位になっている。
書物にも手紙にも征夷大将軍の文字は無く、大君(たいくん)や御本丸様、公方様と呼ばれていた。
公方とは足利義満が作った言葉らしく、天皇と並ぶ意味合いを持っているらしい・・・
私的には中世のヨーロッパのローマ法王と国王の関係を考えれば理解しやすい。
公方は天皇によって任命されるが、公方は天皇の交代すら命令出来たことを考えれば、その権力の強さが分かるはずである。
話を戻すが、鎌倉幕府が何故駄目になったか?
それは現代に近い考えを持っていたからである。
実は「長男が後を継ぐ」という考えは江戸時代に出来たことである。
鎌倉時代は、親の領地は子供が等しく分けたのだ。
さて、よく考えて欲しいが、例えば関東地方全部を所有していた大御家人がいたとする。
その財力は計り知れなかったであろう。
彼には5人の子供がいたとすれば、殿様が死ねば領地は五等分されそれぞれの子供が相続する。
丁度今の県のようになる。
次の世代にさらに五頭分されと世代ごとに一人頭の領地が狭くなっていくのだ。
さて、当時の主な産業は農業であるので、農業の効率は実は大地主制度が一番良いのだ。
当然鎌倉時代末期は御家人は、貧乏になっている。
だから幕府は徳政令なる借金チャラ法を制定したのだ。
相続を平等にしたおかげで、結果皆貧乏になり幕府が潰れたのだ。
そこの楠木正成が登場するが、彼は悪党と呼ばれていた。
誤解無きように!!! 当時の悪党の意味は"新しい"ということであったらしい・・・
昨日も書いたが、武士の始まりは自分の農地を守るために武装したのが始まりだが、鎌倉時代後半に通商が発達すると、当然山賊から自分たちの金品を守らねばならない。
だから商人が武装したのが、悪党と呼ばれる新興勢力の武士であったという。
さて、鎌倉時代の悲惨さを十二分に分かっていた室町幕府は、子供に等しく領地分配を改め"惣領総取り制"にした。
これにより領地や家臣を分割すること無く、次の殿様が全て相続出来るようになった。
しかし、足利幕府は肝心なことを決めていなかった!!!
誰が相続するか?である。
だから、兄弟間、家族間で争いが起き、終いには足利家自体が公方の地位を争って戦をし始めた。
これが応仁の乱で、戦国時代に突入していくきっかけとなった。
又、室町幕府自体が軟弱な権力形態であった。
本来の公方は京都の"花の御所"におわしたが、鎌倉にも鎌倉公方なる機関を置き、板東武者共を治めさせた。
この二党政治が室町時代を複雑に面白くしていった。
今の埼玉県から栃木県に渡って足利一門が公方を名乗り戦国時代に色を添えている。
因みに多くの大名家の名は、彼らの発祥した地名から付けられている。
足利氏は今の栃木県足利市に住んでいた源氏であったし、新田氏も新田郷である。
詰まり源さんは大勢いて、誰が誰だが分からないから地名で呼んだのが始まりかも知れない。
昔、私も伯父を呼ぶときに、白金の伯父さんとか、逗子の伯父さんという具合に呼んでいたのを思い出した。
さて、室町幕府崩壊を見ていた徳川幕府は、"惣領は長男"と決めたのだ。
「生まれてくる順番は、神仏が決めることである」というわけだ。
但し、側室が最初に男子を産んでも、正室が後に生んでも、正室が産んだ子供が相続権を持っていた。
さて、現代を見てみよう。
明治以来の法律でも長男総取りであったし、嫁に行ったら生家の財産はもらえなかった。
しかし、それはそれで上手くいていた。
今は、親の財産を兄弟姉妹で取り合うから、結果家族崩壊である。
長男総取りということは、長男独り占めとは違う。
長男は家長となるから、家の者皆が上手く行くように財産管理してそれぞれの兄弟姉妹を援助していたらしい。
分家は本家をもり立てるのだ。
本家が潰れれば分家も共倒れだから、何が何でも本家を守った。
だから、結果的に皆が潤う構図である。
それを考えれば相続で、仲の良かった兄弟姉妹が赤の他人以下の存在となっていく悲しさがある。
結果家族崩壊・・・
温故知新、今一度大家族制度を考え直すときかも知れない。
老人介護の解決もここにあるような気がする。
これで我々の悩みが少しは分かって戴けると思う・・・
しかし、不思議ななのが、馬鹿政治家もこちらに相続税対策で来るし、元首相の中曽根も相続税対策をハワイでやったが、不思議なのが政治家なのだから「相続税廃止」を何故検討しないのか?
法律で廃止してしまえば良いのに、自ら相続税のグレーを攻めるって意味不明である。
今日は少し話をそらせて、幕府の違いを見てみよう。
幕府の違いと言っても面白いのは相続方法である。
鎌倉幕府時代はまだ大名が存在していないので、御家人と呼んだ。
江戸時代は御家人と言えば、御本丸様にお目見え出来ない軽輩をさしたが、鎌倉時代は大名を指したみたいである。
因みに私は征夷大将軍つまり将軍とは呼ばない。
何故ならば、江戸時代はそう呼んでいなかったからである。
私のブログの読者ならばもうご存じだと思うが、征夷大将軍とは身分が低い。
日本国発の征夷大将軍は、坂上田村麻呂であうが、彼は後に参議から大納言になったが、位は正三位であった。
徳川宗家の歴代はこれ以上で、皆大臣職を頂いていたから、位は三位以上であったし、坂上田村麻呂以降は征夷大将軍は四位の位になっている。
書物にも手紙にも征夷大将軍の文字は無く、大君(たいくん)や御本丸様、公方様と呼ばれていた。
公方とは足利義満が作った言葉らしく、天皇と並ぶ意味合いを持っているらしい・・・
私的には中世のヨーロッパのローマ法王と国王の関係を考えれば理解しやすい。
公方は天皇によって任命されるが、公方は天皇の交代すら命令出来たことを考えれば、その権力の強さが分かるはずである。
話を戻すが、鎌倉幕府が何故駄目になったか?
それは現代に近い考えを持っていたからである。
実は「長男が後を継ぐ」という考えは江戸時代に出来たことである。
鎌倉時代は、親の領地は子供が等しく分けたのだ。
さて、よく考えて欲しいが、例えば関東地方全部を所有していた大御家人がいたとする。
その財力は計り知れなかったであろう。
彼には5人の子供がいたとすれば、殿様が死ねば領地は五等分されそれぞれの子供が相続する。
丁度今の県のようになる。
次の世代にさらに五頭分されと世代ごとに一人頭の領地が狭くなっていくのだ。
さて、当時の主な産業は農業であるので、農業の効率は実は大地主制度が一番良いのだ。
当然鎌倉時代末期は御家人は、貧乏になっている。
だから幕府は徳政令なる借金チャラ法を制定したのだ。
相続を平等にしたおかげで、結果皆貧乏になり幕府が潰れたのだ。
そこの楠木正成が登場するが、彼は悪党と呼ばれていた。
誤解無きように!!! 当時の悪党の意味は"新しい"ということであったらしい・・・
昨日も書いたが、武士の始まりは自分の農地を守るために武装したのが始まりだが、鎌倉時代後半に通商が発達すると、当然山賊から自分たちの金品を守らねばならない。
だから商人が武装したのが、悪党と呼ばれる新興勢力の武士であったという。
さて、鎌倉時代の悲惨さを十二分に分かっていた室町幕府は、子供に等しく領地分配を改め"惣領総取り制"にした。
これにより領地や家臣を分割すること無く、次の殿様が全て相続出来るようになった。
しかし、足利幕府は肝心なことを決めていなかった!!!
誰が相続するか?である。
だから、兄弟間、家族間で争いが起き、終いには足利家自体が公方の地位を争って戦をし始めた。
これが応仁の乱で、戦国時代に突入していくきっかけとなった。
又、室町幕府自体が軟弱な権力形態であった。
本来の公方は京都の"花の御所"におわしたが、鎌倉にも鎌倉公方なる機関を置き、板東武者共を治めさせた。
この二党政治が室町時代を複雑に面白くしていった。
今の埼玉県から栃木県に渡って足利一門が公方を名乗り戦国時代に色を添えている。
因みに多くの大名家の名は、彼らの発祥した地名から付けられている。
足利氏は今の栃木県足利市に住んでいた源氏であったし、新田氏も新田郷である。
詰まり源さんは大勢いて、誰が誰だが分からないから地名で呼んだのが始まりかも知れない。
昔、私も伯父を呼ぶときに、白金の伯父さんとか、逗子の伯父さんという具合に呼んでいたのを思い出した。
さて、室町幕府崩壊を見ていた徳川幕府は、"惣領は長男"と決めたのだ。
「生まれてくる順番は、神仏が決めることである」というわけだ。
但し、側室が最初に男子を産んでも、正室が後に生んでも、正室が産んだ子供が相続権を持っていた。
さて、現代を見てみよう。
明治以来の法律でも長男総取りであったし、嫁に行ったら生家の財産はもらえなかった。
しかし、それはそれで上手くいていた。
今は、親の財産を兄弟姉妹で取り合うから、結果家族崩壊である。
長男総取りということは、長男独り占めとは違う。
長男は家長となるから、家の者皆が上手く行くように財産管理してそれぞれの兄弟姉妹を援助していたらしい。
分家は本家をもり立てるのだ。
本家が潰れれば分家も共倒れだから、何が何でも本家を守った。
だから、結果的に皆が潤う構図である。
それを考えれば相続で、仲の良かった兄弟姉妹が赤の他人以下の存在となっていく悲しさがある。
結果家族崩壊・・・
温故知新、今一度大家族制度を考え直すときかも知れない。
老人介護の解決もここにあるような気がする。