小学生、中学生時代の日本史は、面白かった。
家にあった国宝の写真集で飛鳥時代の仏像等を眺めながら、ポール・モーリアを訊いていた記憶がある。

飛鳥奈良時代は面白かったが、大宝律令、荘園が出てくるととたんに日本史が分からなくなった。

"荘園"これが曲者であった。
荘園とは何ぞ?なのだ。
この荘園を理解出来ないと、平安時代が見えてこないのだ!!!
下らない年号など覚える必要が無い!!!
要は平安時代とはどういった時代なのか?
清少納言の枕草子、紫支部の源氏物語等々、王朝絵巻に語られるきらびやかな世界なのか?である。

では、考えてみましょう
荘園とは、ぶっちゃけ藤原一族が考えた脱税システムである!!!なのだ。
法的には公地公民で全ての土地(農園が肝心ね)と人民は天皇に属するなのに、藤原一門はこの法を骨抜きにしたのだ。
荘園とは別荘なのだが、ここがポイントで、太政大臣様の別荘はあちらこちらにあって、その広大な敷地の中に農地があるったのだ。
当然今でいう国税局の役人が荘園に行って「これは農園だから租税を払え」というと荘園の管理人は「ここは太政大臣様の別荘だから、直接大臣様に訊け」となる。
国税局だって役人だから、今の総理大臣より権力のある太政大臣にどうやって尋ねるのか?
今なら選挙に落ちればただの人で、逮捕起訴も出来るであろうが、平安時代は選挙も無いし、役人の殺生与奪の権限を持っている閣下に逆らえるはずが無い!!!
どうも農民にしてみても公地を耕していると税引き後の取り分が、荘園農民になったほうが収入が多かったらしい・・・

こうなれば公地は荒れ放題!! 荘園には撓わに実った農作物が溢れるのだ。
そうやって平安時代の約400年間、藤原氏は我が世の春を謳歌していた。
絶頂期は藤原道長である。
それに変わって、公地の持ち主である天皇家は貧乏になる。
だから、天皇も上皇も何故か荘園を持っていた。
光源氏も須磨に流されるときに荘園の名義の変更をしていたい。
芥川龍之介の羅生門を思い出して欲しいが、都大路の門だが、壊れかけていて野盗や死骸があって、ババアが女性の死体から髪の毛を切り取っているという内容だが、首都の門が壊れていて政府に修理する金も無く、大路には多くの死体が散乱していた。
これが平安時代の姿である。
平安絵巻はあくまで藤原トップの話である。

だから、宇治の平等院をみて関心してはいけないのだ。
都大路は荒れ放題で餓死者の死骸が散乱しているのに、藤原道長は死語の心配をして、極楽浄土を表したのが平等院である。
為政者が民のことに無関心だったのだ。
今と変わらない・・・

首都がやばいのならば地方もやばいのは創造出来ることだ。

さて、同じ藤原でも美味しいのはごく一部のピラミッドの頂点である。
現に藤原道長も兄の藤原道隆と壮絶な権力闘争を繰り広げ、一条天皇の寵妃であった道隆の娘中宮定子を蹴落とし、自分の娘である中宮彰子を皇后とした。
これにより兼家の五男であった道長が、藤原一門の長となったのだ。

問題は、権力闘争に加われない末端な藤原である。
そこには源氏や平氏もいるのだ。
京都にいても美味しい役職は頂点に近い藤原が占めているので、末端は地方へ活路を見いだすしか生き残るすべは無かった。

つづく