"昭和天皇の回顧録"によると、陛下がまだご幼少お頃、学校で蛙の解剖をなさったそうだ。
陛下はいたく気に入られ、御所にお帰りになってから御手ずから蛙をお捕まえになられ、解剖をなさったそうだ。
その後、蛙が死ぬと、陛下は庭に埋めて墓をお作りになられた。
そして「従一位蛙大明神」とお書きになられた。
そのようなことなら我々も子供の頃に書いて遊んだ記憶があるが、我々が従一位と書いてもそれはただの言葉だが、陛下(その時は皇太子殿下であらした)がお書きになればそれは本物になってしまう。

時の大臣達よりも、この蛙の位は高いはずだ・・・

「天皇は神である」これを疑えば日本の神道は根本から崩れてしまうのだ!!!
正に現人神である。

さて、古代ローマ帝国第三代皇帝にカリギュラという人がいた。
本名はガイウス・カエサル・ゲルマニクスという。
ガイウス・カエサルはかの有名なジュリアス・シーザー(英語読み)であって、代々その名を継承することが皇帝の証であり、カエサルはドイツ語読みでカイザー、ロシア語ではツーリーと読みどれも皇帝を指す単語となった。
人の姓が"皇帝"という単語いなったのである!!!!

ゲルマニクスとは彼の父親がゲルマン人の討伐で名をは馳せたことから元老院から"ゲルマン人を征服した者"という名称を貰ったことを継承したのだ。

さて、カリギュラとはローマ軍人の履いていたサンダルを意味して、彼は子供の頃父について行き軍隊の中で育って兵士達からカリギュラと通称で呼ばれていたことに由来するという。

まあ、我々世代だと"カリギュラ"と言えばペントハウスが作った映画で、日本でも公開されたが初めの15分以降は前編ぼかし入りという問題作であった。
当時中学生であった私も、学校で話題沸騰していたことを覚えている。
確か、カリギュラツアーと行って、大人達はハワイ旅行に行ってカリギュラのノーカット番を観るというのが世間を賑わせていた。

私は高校生の頃にフランスの作家アルベート・カミュ作の戯曲カリギュラを読んだ。
映画と違って本ではエロティックな描写は無く、ただ狂気じみていくのが読み取れた。
確か、冒頭でカリギュラは行方不明になり数日後に返ってくるところからであった。
「私は捜し物をしていたのだ」
「それで捜し物は手に入ったのですか?」
「いいや」
「何が欲しかったのですか?」
「月だ」
「・・・」
「私には不可能なことが欲しいのだ」
と言った具合だったと思った。

ローマ皇帝ともなれば好き勝手が出来るが、だからこそ不可なことが私には必要だといのが心に響いた。

最後にカリギュラは暗殺されるが、その理由が凄まじいのだ。

古今暴君などは別に珍しくない。
気に入らない人間を殺すのもかまわない。
だがただ一つだけ許せないのは、奴は持てる全ての権利を行使しようとしている。
それが許されるのは神々のみだ。
だから私は奴を殺す。
というのだ。

確か、ユリウス・カエサルを暗殺した輩も同じようなことを言ったという。
カエサルは裏切った私を許した。
しかし、許せるのは神々だけだ。
だから私はカエサルを殺す。
という。
ブルータス他はカエサルの許しが無ければ首が飛んだというのに、命の恩人を「私を許したその態度が、人間の領分を超えている」という理由で暗殺である。

昭和天皇は、終戦後マッカーサー元帥をお訪ねになった。
そして言われた。
「戦争の責任の全ては朕にある。朕を処刑しなさい。但し、国民には衣食住を与えて欲しい」
人の上に立たれる者の覚悟は立派の一言である。

やはり神々の領域のお方ではないのか?