ラーメンとは支那ソバ、南京ソバとも呼ばれている。
明治43年に東京浅草の"来々軒"が始まりという。
支那人や朝鮮人は自分たちの料理と始まるが、奴らの料理で無いことは奴らの食べている料理を見れば明らかである。
そもそも、湯麺と焼きそばしかない中華料理とは、一線を画しているし、そもそも食べ物が無かった朝鮮に、料理が発明されることは無い!!
おっと、失礼、朝鮮には糞料理と人糞から醗酵させた酒があったらしい・・・
そもそも、支那大陸は広さだけは広大だが、肥沃な土地は皆無である。
だから、何でも食べられるために甜麺醤が発明されたのだ。
食べる物が無いから人肉も食べたのだ。
敵の捕虜は食用であったと言うし・・・
半島は痩せすぎ、大日本帝国が入るまでは、何も農作物が無い状態であった。
日本ほど多種多様な料理がある国は、日本を除いてほかない。
揚げ物、蒸し物、焼き物、煮物、そして生で食べる。考えられる料理全てが揃っている。
料理文化が花開くには、平和と有り余る食材が必要である。
事実、江戸時代は日本の歴史上まれに見る平和と文化の爛熟期であったといえる。
男女間のSEX48手を初めとして、全ての文化が乱舞した。
確かに飢饉があって多くの餓死者も出たが、都市部では流通が完備されていたので、日本全国からあらゆる食材が集まったため、餓死者はいなかったようだ。
しかし、大飢饉も数回しか無かったのも事実で、江戸時代が酷いというのは明治政府のプロパガンダである。
事実、飢饉による餓死者は江戸時代よりも明治時代の方が多かった。
さて、話をラーメンに戻すが、ラーメンは拉麺とも書き、支那ソバとも呼ぶが、これは日本で"中華湯麺"を元に日本人の舌に合うように発明されたのだ。
私なりの解釈では、支那ソバは日本蕎麦屋で作られていた。
当然、街中の中華屋でもラーメン、味噌ラーメン、塩ラーメン、ワンタン麺とうがチャーハンと餃子と共に進化していった。
因みに、支那国の餃子は水餃子か蒸し餃子のみで、昨今は日本製焼き餃子が支那でも流行しているという。
ラーメンと言えば、場末的なイメージであったが、バブル期に歴史的なポイントがあった。
それは喜多方ラーメンである。
ご当地ラーメンの走りで有り、ラーメンがただの腹の足しから、美味しい食べ物に昇華させたとおもう。
これ以降、色々と凝ったラーメンが日本全国から沸き起こってきた。
これはLAのラーメン屋の甘煮ラーメンである。
日本のサイズの倍はあるが、なんとアミーゴ(メキシコ系)が作っている。
世界中でラーメンブームであるが、英語ではRamenと書く。
実は知り合いでラーメン屋をやっているのがいるが、オレンジ郡のコスタメサである。
そうそう、コスタメサに喜多方ラーメンが出来たという。
正に日本のラーメン史のエポックポイントのラーメン屋が出来たのだ。
しかし、知り合いのラーメン屋ははっきり言って不味い!!!
だが、日本人のしたには合わなくても、ラテン系の舌には合うのだ。
だから商売は成り立っているのだ。
私がフロリダにいた頃、スーパーでインスタントラーメンを買った。
日清食品のは高かったので"マルちゃん"のを買った。
たしか、6パックで1ドルだか2ドルであった記憶があるが、これが又面白いのが、ビーフ味、ポーク味、チキン味、シュリンプ味と四種類あった。
一番怪しいと思ったシュリンプ味が、食べてみると"チャルメラ"の味であった・・・
LAにも日清食品の大きな工場があるが、出荷する地域によって味が違うという。
白人、黒人、ラテンとベースの味が違うからそれに合わせている。
余談だが、吉野家の牛丼もこちらではつゆだくが一般的で、日本と同じように食べたければ「No juice」というのだ。
所詮旨味成分を理解出来ない奴らにご託を述べても始まらないが、それでもラーメンが美味しいと言っているのだ。
しかし、先ずは食べ方から教えないと!!!
日本食の麺類は、"音を立てながら食べる"なのだ。
これは欧米人にとっては"礼儀違反"なので抵抗はあるであろうが、音を立ててすすると、麺に汁がからみ実に旨いのだ。
何事も極めるには奥深いのだ。
ラーメンもベースの出汁をどうするか?
麺の太さ、細さ等々組み合わせには切りが無いのだ・・・
改めて日本食の奥深さに驚かされる
明治43年に東京浅草の"来々軒"が始まりという。
支那人や朝鮮人は自分たちの料理と始まるが、奴らの料理で無いことは奴らの食べている料理を見れば明らかである。
そもそも、湯麺と焼きそばしかない中華料理とは、一線を画しているし、そもそも食べ物が無かった朝鮮に、料理が発明されることは無い!!
おっと、失礼、朝鮮には糞料理と人糞から醗酵させた酒があったらしい・・・
そもそも、支那大陸は広さだけは広大だが、肥沃な土地は皆無である。
だから、何でも食べられるために甜麺醤が発明されたのだ。
食べる物が無いから人肉も食べたのだ。
敵の捕虜は食用であったと言うし・・・
半島は痩せすぎ、大日本帝国が入るまでは、何も農作物が無い状態であった。
日本ほど多種多様な料理がある国は、日本を除いてほかない。
揚げ物、蒸し物、焼き物、煮物、そして生で食べる。考えられる料理全てが揃っている。
料理文化が花開くには、平和と有り余る食材が必要である。
事実、江戸時代は日本の歴史上まれに見る平和と文化の爛熟期であったといえる。
男女間のSEX48手を初めとして、全ての文化が乱舞した。
確かに飢饉があって多くの餓死者も出たが、都市部では流通が完備されていたので、日本全国からあらゆる食材が集まったため、餓死者はいなかったようだ。
しかし、大飢饉も数回しか無かったのも事実で、江戸時代が酷いというのは明治政府のプロパガンダである。
事実、飢饉による餓死者は江戸時代よりも明治時代の方が多かった。
さて、話をラーメンに戻すが、ラーメンは拉麺とも書き、支那ソバとも呼ぶが、これは日本で"中華湯麺"を元に日本人の舌に合うように発明されたのだ。
私なりの解釈では、支那ソバは日本蕎麦屋で作られていた。
当然、街中の中華屋でもラーメン、味噌ラーメン、塩ラーメン、ワンタン麺とうがチャーハンと餃子と共に進化していった。
因みに、支那国の餃子は水餃子か蒸し餃子のみで、昨今は日本製焼き餃子が支那でも流行しているという。
ラーメンと言えば、場末的なイメージであったが、バブル期に歴史的なポイントがあった。
それは喜多方ラーメンである。
ご当地ラーメンの走りで有り、ラーメンがただの腹の足しから、美味しい食べ物に昇華させたとおもう。
これ以降、色々と凝ったラーメンが日本全国から沸き起こってきた。
これはLAのラーメン屋の甘煮ラーメンである。
日本のサイズの倍はあるが、なんとアミーゴ(メキシコ系)が作っている。
世界中でラーメンブームであるが、英語ではRamenと書く。
実は知り合いでラーメン屋をやっているのがいるが、オレンジ郡のコスタメサである。
そうそう、コスタメサに喜多方ラーメンが出来たという。
正に日本のラーメン史のエポックポイントのラーメン屋が出来たのだ。
しかし、知り合いのラーメン屋ははっきり言って不味い!!!
だが、日本人のしたには合わなくても、ラテン系の舌には合うのだ。
だから商売は成り立っているのだ。
私がフロリダにいた頃、スーパーでインスタントラーメンを買った。
日清食品のは高かったので"マルちゃん"のを買った。
たしか、6パックで1ドルだか2ドルであった記憶があるが、これが又面白いのが、ビーフ味、ポーク味、チキン味、シュリンプ味と四種類あった。
一番怪しいと思ったシュリンプ味が、食べてみると"チャルメラ"の味であった・・・
LAにも日清食品の大きな工場があるが、出荷する地域によって味が違うという。
白人、黒人、ラテンとベースの味が違うからそれに合わせている。
余談だが、吉野家の牛丼もこちらではつゆだくが一般的で、日本と同じように食べたければ「No juice」というのだ。
所詮旨味成分を理解出来ない奴らにご託を述べても始まらないが、それでもラーメンが美味しいと言っているのだ。
しかし、先ずは食べ方から教えないと!!!
日本食の麺類は、"音を立てながら食べる"なのだ。
これは欧米人にとっては"礼儀違反"なので抵抗はあるであろうが、音を立ててすすると、麺に汁がからみ実に旨いのだ。
何事も極めるには奥深いのだ。
ラーメンもベースの出汁をどうするか?
麺の太さ、細さ等々組み合わせには切りが無いのだ・・・
改めて日本食の奥深さに驚かされる
