歴史は意外と難しいものだ。
飛行機の中で関裕二著「天皇と鬼」という本を読んだ。
面白そうだと思って買ったのだが、内容は・・・

まあ、"定説"という器の中で掻き回しているだけのような気がした。
得てして歴史家がはまる最大の罠は、"宗教"を抜きに歴史を追うことである。
現代を生きる我々でさえ、宗教に左右されている。
神社仏閣に行き祈りを捧げている。
若い頃は何故か恐いもの知らずで、神殿奥の鏡を打ち破れるような気がしていたが、21世紀なった今ですら、私には恐ろしくてそんなことを考えていたこと自体身体が震える思いである。

"鬼"とは今で言う妖怪でなく、元々は"強いもの"、"恐いもの"を意味していた。
現代のような角を生やしている鬼は、仏教伝来以降"婆娑羅神"と重なっているという。
バサラは神であるから、強い怖いは当然である・・・

さて、天平飛鳥以前は、朝鮮半島もヤマトの一部であったし、彼らは臣民として存在していた。
だから百済の王族が多く日本いたのだ。
彼らは人質であったという・・・

秦氏は秦の始皇帝の末裔だと言うが、彼らも渡来人の一派である。
しかし、勘違いしてはいけないのは、渡来人が日本に帰化しているときのヤマトは、間違いなく強大な国であったに違いない。
何故か? それは言語である。
もし、渡来人の数が圧倒的で科学技術が日本より優れていたら、当然侵略される筈だ。
そして、日本語が無くなり、朝鮮語か古代支那語になっていたはずである。
しかし、日本語は世界で唯一古代言語に属するという。
つまり、数千年前に世界で絶滅した言語が日本語であるという。

詰まり、渡来人はいたが、体制に影響は無かったということだ。
今の東京の方がチョン語やチャイ語が溢れている・・・
嘆かわしいことである。
日本に来るなら日本語ぐらい勉強してこいって!!!

さて、中大兄皇子と中臣鎌足が起こしたクーデターが大化の改新である。
その後中臣鎌足は天智天皇から"藤原"姓を賜ったことになっているが、私に言わせればこれも嘘である。
藤原姓は平城京遷都後に賜ったはずである。
何故ならば、平城京の前は藤原京が都であったので、天皇が臣下の名の都に住むはずが無いからである。
また、馬鹿な歴史学者の想像力の無さは、「もし自分が当事者であったら?」である。
しかし、もし藤原不比等が天智天皇の御落胤であったなら、遷都後に都と名を賜ったと言うことは頷ける。実は不比等御落胤説は存在しているらしい・・・

日本書紀は天武天皇系が書かせた歴史書であり、その内容自体が真実を隠しているのだ。
中大兄皇子と大海人皇子は兄弟であり、兄の天智と弟の天武ということになっている。
しかし、私は昔から???であった。
何故天智は自分の娘を4人も弟に嫁がせたのか?である。
これって姪全員とHすることである。

もし、兄弟で無かったら・・・?となると話が違ってくる。
兄弟で無く、皇位継承権の順位も低かったはずだ。
だから"壬申の乱"を起こす必要があったのだ。
天武は渡来系の皇子であったという。
父は百済の王族、母はヤマトの姫皇子であった。
だから、皇位継承権は無いに等しい皇子であったはずだ。
一説には忍者的な技の持ち主であったという噂を訊いたことがある。

詰まり、天智天皇から観ても、大海人皇子は"できる"人間であったからこそ、自分の娘を嫁がせたのだ。
それが額田王後の持統天皇である。

だからこそ天武天皇は何が何でも天智天皇の弟で無ければならなかったのだ!!!
皇位簒奪は大罪であるからだ。

後は天智統対天武統の戦いに、藤原対蘇我の戦いが複雑に絡み合っていくのだ。

つづく