面白い話を耳にしたので紹介したい。

日本にキリスト教を伝道したのはフランシスコ・ザビエルで、天文18年(1549年)の事であるとされている。

しかし、実際には5世紀にネストリュウス派と呼ばれるものが、中国より伝わっていた形跡がある。
文献には残っていないが絶対に来ていた事実がある。
それは"聖徳太子"である。
言わずと知れた日本の英雄である。
現代にも伝わっている十七条の憲法である。
「第一条、和を尊ぶべし」だから談合をするのだ!!!
そして「日出ずる国の天子から日没する処の天使へ」は有名だ!!!
これで支那とは形式上は対等となったのだ。
さて、聖徳太子は謎の多い人物で、実在したのか?という説もある・・・
気が触れて伊予国の道後温泉へ湯治に行っていたらしいが・・・
何故、気が狂ったのか?というと多感な14歳ぐらいの時、大伯父である蘇我馬子と
馬子の姪である穴穂部間人皇女が、父の用明天皇を裏切って乳繰り合っているのを見てしまったという・・・
これはディープである・・・

話は逸れたが、聖徳太子の幼名は厩戸皇子(うまよどのみこ)である。
何故厩戸かというと、彼は馬宿で生まれたからだそうだ・・・

皇族の皇子(生まれたときは父は天皇でなかった)が、馬小屋で生まれるかって!!!である。
詰まり、神の子イエス・キリストが馬小屋で産まれたから、神童である彼も馬小屋で生まれたとしたのだ。
まあ、後の創作であろうと思うが・・・

だからこそ、キリスト教はこの頃には日本に伝承されていた証拠になる。

さて、キリスト教と一口に言っても宗派は計り知れないほどあるしが、ざっくり分けるとローマカトリックとプロテスタントに別れると思うかも知れないが、実はローマカトリックと正教会に分かれるのだ。
プロテスタントは16世紀にマルチン・ルターによってローマカトリックから分離したのだ。
では、カトリックと正教会とは?
カトリックとはローマ法王を頂点として、国々にカトリック教会を作り布教、金集めをしていたが、正式言語はラテン語である。
司教や司祭はラテン語で説法をするし、聖書もラテン語であったため、多くの人たちは聖書を読めなかった(まあ識字率も低かったから自国語でも読める奴は少なかったと思うが・・・)

それに引き替え、正教はそれぞれの言語で聖書を作り説法をしたのだ。
ローマカトリックは西ローマ帝国が、正教は東ローマ帝国と分けられる。
実は、国としては西ローマ帝国の方が早く滅んだが、宗教としてはローマカトリックの方が権力、信者の数が多くなったのだ。
ヨーロッパの人々は救いを神に求めたが、正教はそれぞれの民族に根付いたが、民族が滅べば正教の終わってしまう・・・
事実東ローマ帝国のコンスタンチノープルが陥落してから以降、東ローマ国教会は現在もトルコのイスタンブールで細々と存続しているのだ。
それに引き替え、特殊な人間、神によって選ばれし聖職者を中心とした組織の方が国や民族に影響されずに国王に対しても対等な、いやそれ以上の権威、権力を手に入れることが出来たのだ。

そして、16世紀にイエズス会のザビエルが、戦国時代の日本へやってきたのだ。
スペインとポルトガルは、未開の地への布教との引き替えに、ローマ法王庁から植民地化の勅許を貰っていたのだ。

しかし、ザビエル一行は日本に来てビックリしたと思う。
布教の許可を誰から貰えば良いの分からない状況であったからだ。
まあ、取りあえずは土地の権力者である大名から布教の許可を得たと思うが、実は農民や商人も頭が良いから、他のアジアの国用には行かなかったという。
「そんなに有り難い教えが、何故今までなかったのか?」
「その有り難い教えをきかなかった御先祖様はいまどうしているのか?」等々、ザビエルは応えられなかったという・・・
終いには「自分だけ洗礼を受けて救われるのは、御先祖様に申し訳ない」
「洗礼を受けていなかった御先祖様は地獄にいるのか?何とか救ってくれ」
と言う問いに宣教師達は「洗礼を受けなかった者を救うことは出来ない」と応えたそうだ。
「なんだ、あんたらの神様は全能と言うが全能でないな。わしらの御先祖様を地獄から救えないのか?」
と来る。
そして「全能の神がこの世界を作ったのなら何で悪魔も作ったのか?そもそも、悪を作らなかったら、わし等も苦労していないのではないか?」と問い掛ける。
ああ、問答の好きな、探求心旺盛な日本人の好奇心に火を付けてしまった可愛そうなザビエル・・・
結局ザビエルはまともに応えること無く精も根も尽き果て、日本を後にしたらしい・・・

この何事にも好奇心を持つ大和民族の血が、現在まで脈々と受け継がれているのが誇らしい。
この心意気が、世界をアッと驚かせているのだ。

そう思うと、ニヤリとしながら酒がすすむ・・・