豊臣秀吉の晩年は、余りよく書かれていない。
最大の失策は朝鮮出兵だと戦後の馬鹿な左学者共がほざいているsから、我々も小・中・高校でこのように日本史で習ったはずだ。

しかし、16世紀の世界の常識は、力ある国が未開の地に兵を派遣してその地を"分捕る"ことは当たり前であったのだ。
当然、日本も戦国時代だから力で隣国を制して何が悪いのか?である。
甲州の武田信玄が信濃を手に入れたのと同じである。

朝鮮出兵と習ったと思うが、これは"誤り"であるのだ!!!
正確には大陸出兵若しくは明征伐であった。
これは、豊臣秀吉の案で無く間違いなく織田信長公の計画であった筈だ。
信長公は未だ若い頃、地球儀を見て日本の小ささを実感し、この地球をスペインとポルトガルで二等分しようとしていることを知り、その権限を与えているのがローマ法王である事も知っていた。
スペインに征服される前に「日本が半分取ってやる」と思った筈である。
前にも書いたが、信長公は信心深い!!!
だから、日本にいる限り天皇を越えることは出来ない事も知っていた。
だからこそ、支那から中央アジアを征服し日本をその一地方としてしまえば、己が天皇を越えられると思っていたはずだ。

秀吉が信長公に倣った証拠がある。
それは大阪城である!!!
大阪城は織田信長公が計画していたのだ!!!
日本を世界と交易させ栄えさせるには、大きな港を擁する大都市を造らねばならなかった。
それには大阪がうってつけであったが、そこに鎮座していたのが石山本願寺であった。
「そこを明け渡せ」と言ったものだから、信長公と石山本願寺の血みどろの戦になっていくのだ。
とにかく、織田信長公という人間は、ずば抜けた天才であるので、先の先まで見越していた。
だから、日本の発展を考えれば大都市建設が絶対であった事も知っていたのだ。

馬鹿学者は信長公の集大成が安土城と言っているが、彼は自分自身本能寺で死ぬとは思っていなかったはずだ。
最低でも後20年は生きるつもりでいたはずだ!!!
本能寺が天正10年であり、清洲会議を歴て秀吉が築城を開始したのが天正11年である。
もし、天下が棚牡丹であったなら、秀吉が1年も掛けずに大阪城の地の利を理解し、日本の中心の大都市を造ろうとしたのか?
余りにも早すぎないか?
こうなると秀吉が、信長公から将来の青写真を見せられていたと考えた方が辻褄が合うはずだ。

さて、朝鮮出兵は文禄の役、慶長の役と二回大陸へ渡っているが、左の嘘歴史では「コンパにやられて逃げ帰ってきた」ことになっているが、実は違うらしい・・・

ここで、秀吉は家康公を朝鮮に行かせていない!!!
まあ、所説あるがどれも的外れと言わねばならない!!!
さて、貴方が秀吉だとしよう!!!
日本中を平定したが、徳川家康という"目の上のたんこぶ"がいる。
正に眠れる獅子である。
この時すでに250万石の大大名であり、次席の毛利でさえ120.5万石、三位の上杉120万石、四位の前田83.5万石であった。
如何に徳川家が凄いか分かる筈だ。
己の後継者の関白秀次でさえ100万石であった。

実質NO2である徳川家から所領を奪うことは不可能ならば、どうするか?
自分の子飼いの加藤清正、福島正則、小西行長等の所領を増やせばよい。それも徳川家以上に・・・

だから、明国出兵には徳川勢を連れて行かなかったのだ!!!!
アジア全てを手中にすれば、豊臣家1億石、加藤家1000万石、福島家1000万石、小西家800万石となれば、それだけで徳川家を圧倒医出来る!!!
江戸時代、御本丸家(上様)は800万石と言われていたので、その規模は計り知れない。

しかし、しかしだ、秀吉の計算違いがあった!!!
それは、朝鮮半島と中国は実は貧乏であった事だ・・・
送り込んだ諸大名達に「褒美は望みのままだ!!! この辺りを領地にしてやる」と言われても、誰も喜ばなかったらしい・・・
それどころか、早く帰りたい!!!だけであったという・・・

小西軍は平壌を陥落させていたし、加藤清正に至っては南満州辺りまで言っていたというのだ。
そこで初めて「手応えのある敵と出会った」と清正が言ったという・・・ 詰まり満州人である。
朝鮮人は弱すぎる!!!
そもそも、16世紀当時、世界最強の陸軍は日本であったのだ!!!

実は、明治に入ってからの日清戦争だが、朝鮮半島はほぼ無傷で呆気なくスルーしたという兵士の日記があるという。
日本軍は強くこのまま北京まで行くという勢いであったらしいが、時の総理大臣伊藤博文が「深追いするな!!!ロシアに備えろ」と言ったという・・・

ここで覚えて欲しいのは、朝鮮出兵でなく支那出兵であったことだ。
何故ならば、当時朝鮮は明の一地方(属国)であったので、休戦協定等は李王朝でなく明朝とするのだ。
このウザさが日清戦争、朝鮮併合、戦後、現在まで至っている。
はい、500年以上も変わらないお馬鹿な隣人を日本風に変えてあげられますか?
だから温故知新が大切なことであることを学ばねばならない