たまたま"Hulu"のクラッシック映画で、黒沢明監督、三船敏郎主演の"醜聞"(スキャンダル)を観た。
黒沢明映画で、時代物で無いのは初めて観たかも知れない。
昭和25年の作品である。つまり、戦後5年目に制作されたのだ。
劇中の駐車禁止の看板も進駐軍と書かれていた。
日本の街並みも外国を思わせる不思議な気がした。
走っている車もアルカポネが乗っていた感じの形である。
詳しい粗筋はググって貰えば良いが、三船敏郎演じる青年画家の青江一郎がバイクに乗って旅をしながら風景画を描いている。
そこのヒロインの山口淑子演じる西条美也子が現れる。
しかし、この当時の女優は美人である。
今風のその辺りにいる感じでは無い・・・
その登場の仕方は"彼のオートバイ、彼女の島"でのヒロインのミーヨの登場シーンを思い出された。
ひょんな事から彼女を乗せて麓の温泉宿までいくのだが、西条女史は有名な歌手でありパパラッチに追い回されていた。
奴らから逃げるようにバスを降りたという設定であったが、青江の運転するバイクが先を行っていたバスを追い越したことから、問題が起こる。
宿で青江が西条の部屋を尋ね世間話をしている所を、パパラッチがフォーカスして、雑紙のでっち上げの記事が載り、怒った青江が裁判をするというながれだが、記事を捏造する辺りが、朝日新聞の問題と重なって思わす笑える。
マスコミの常套手段は"報道の自由"であるが、これは決して今も昔も"捏造"を意味していない。
この事を忘れると、マスコミは単なる暴力集団となってしまうのだ。
朝日新聞は最低である。潰してしまわねばならない!!!
報道の自由、言論の自由を旗標にしているが、いざ己の会社に都合の悪い記事を書いた週刊誌の広告を載せる載せないで騒ぎを起こし、載せたと思ったら黒塗りで自車に都合の悪い箇所を抜いている!!!
これってやってはならない"検閲"そのものである!!!
朝日新聞は、自らの手で自らの首を絞めたことにならないか?
これが日本を代表していた新聞社のすることか?
断末魔の最後の足掻きに見えてしまうのが滑稽である。
さて、一番驚かされたのは、映画での裁判シーンである。
昭和25年当時は、新聞社が法廷に自由に出入りして写真を撮り記事を書くことが出来ていたと思える。
GHQがいなくなってから、日本の法廷は秘密主義になったとしか思えない。
裁判は公開が大原則である。
正義は白日の下に行われるべきである。
不正が行われないように、天下万民の下で行われるべきが、密室と馬鹿な裁判官の馬鹿げた判例主義で行われている。
先ずはここからの改革が寛容であろう。
"醜聞"は一見の価値は十分にあると思う。
黒沢明映画で、時代物で無いのは初めて観たかも知れない。
昭和25年の作品である。つまり、戦後5年目に制作されたのだ。
劇中の駐車禁止の看板も進駐軍と書かれていた。
日本の街並みも外国を思わせる不思議な気がした。
走っている車もアルカポネが乗っていた感じの形である。
詳しい粗筋はググって貰えば良いが、三船敏郎演じる青年画家の青江一郎がバイクに乗って旅をしながら風景画を描いている。
そこのヒロインの山口淑子演じる西条美也子が現れる。
しかし、この当時の女優は美人である。
今風のその辺りにいる感じでは無い・・・
その登場の仕方は"彼のオートバイ、彼女の島"でのヒロインのミーヨの登場シーンを思い出された。
ひょんな事から彼女を乗せて麓の温泉宿までいくのだが、西条女史は有名な歌手でありパパラッチに追い回されていた。
奴らから逃げるようにバスを降りたという設定であったが、青江の運転するバイクが先を行っていたバスを追い越したことから、問題が起こる。
宿で青江が西条の部屋を尋ね世間話をしている所を、パパラッチがフォーカスして、雑紙のでっち上げの記事が載り、怒った青江が裁判をするというながれだが、記事を捏造する辺りが、朝日新聞の問題と重なって思わす笑える。
マスコミの常套手段は"報道の自由"であるが、これは決して今も昔も"捏造"を意味していない。
この事を忘れると、マスコミは単なる暴力集団となってしまうのだ。
朝日新聞は最低である。潰してしまわねばならない!!!
報道の自由、言論の自由を旗標にしているが、いざ己の会社に都合の悪い記事を書いた週刊誌の広告を載せる載せないで騒ぎを起こし、載せたと思ったら黒塗りで自車に都合の悪い箇所を抜いている!!!
これってやってはならない"検閲"そのものである!!!
朝日新聞は、自らの手で自らの首を絞めたことにならないか?
これが日本を代表していた新聞社のすることか?
断末魔の最後の足掻きに見えてしまうのが滑稽である。
さて、一番驚かされたのは、映画での裁判シーンである。
昭和25年当時は、新聞社が法廷に自由に出入りして写真を撮り記事を書くことが出来ていたと思える。
GHQがいなくなってから、日本の法廷は秘密主義になったとしか思えない。
裁判は公開が大原則である。
正義は白日の下に行われるべきである。
不正が行われないように、天下万民の下で行われるべきが、密室と馬鹿な裁判官の馬鹿げた判例主義で行われている。
先ずはここからの改革が寛容であろう。
"醜聞"は一見の価値は十分にあると思う。