オックスフォード伯エドワードと言う名を御存じか?

彼こそ、本当のシェークスピアと言うのだ!!!

史実のウィリアム・シェークスピアは、生年月日不明だが洗礼日は1564年4月24日である。

彼はイングランド王国のストラトフォード=アポン=エイヴォンという町に手袋職人の子として生まれた。
しかし、彼の両親も文盲であったらしい・・・
この当時から現代至るまで、日本が識字率が一番高いのだ!!!

事実江戸時代に西洋人が江戸の街に来て一番驚かされたのは、町の古本屋の店番が赤ん坊を負ぶった小女で、彼女は片手で本を読みながら、本を買った客から金を受け取り、暗算をしてお釣りを手渡したことだという。

西洋では貴族はそれなりに字が読めるが、暗算は出来ない・・・

そうなると、田舎の町の手袋屋の小倅が何故字を読めて、あれだけの内容の37冊の戯曲を書けたのか?が疑問として残る。

彼が28歳の頃までにはロンドンに出てきていたらしいが、役者崩れのような感じからすると、ろくでもない生活を送っていたことがわかる。
日本でも役者は"河原乞食"と呼ばれていたのだから、当時のロンドンでも如何わしい職業であったのだ。

まあ学があったとは到底思えない。
しかし、ヘンリー六世、リチャード三世等の戯曲を書き始めた。

これらを書くには相当な教養が必要であったはず。

そこでオックスフォード伯エドワードが書いた説が有力らしい。
当時、役者が河原乞食なら台本を貴族が書くこと自体タブーであったことは容易に想像が付く。

貴族の仕事は、政治と戦争であったのだ。

常識から考えて平民で大した学も無い男が、古代ギリシアで好まれた韻の一つ弱強五歩格とかいう韻律を知っているはずがない。
"弱強五歩格"と聞いて「ああ、あれね」と言う人は一体全体何人いるのか?

彼の死後、彼の妻や娘達がいたが、彼女らも文盲であったし、何一つ作品を相続していない。
又書きかけの作品やメモすらなかったという・・・

因みに彼の死後400年間、自筆の原稿は一つも見付かってはいない・・・

本国のイギリスでもオクスフォード伯が作者で無いか?とか別人がいたとか議論されているという。
又、我が国の更に古い今から1000年以上前の枕草子や源氏物語があるが、その作者は清少納言と紫式部でる。
彼女たちが本当に存在していたのは、それぞれの作品に「嫌な奴がいる」とお互いを罵っている箇所がある。
紫式部は紫式部日記で清少納言の悪口をかいてるから、実在したアリバイになっている。

これもミステリーである。
事実は小説より奇なりである。