遅ればせながら昨日初めておろしや国酔夢譚(おろしやこくすいむたん)の映画を観た。
原作は井上靖氏で緒形拳主演で平成4年に映画が上映された。
まあ、ざっくり粗筋を書けば天明二年(1782年)に伊勢から江戸迄米を積んだ船が嵐に遭い8ヶ月漂流して北の果てのアムチトカ島に漂着する。
当時は帝政ロシア領だが現在はアメリカ合衆国アラスカ州である。
そこで、大黒屋光太夫以下乗組員はロシア語を覚え、ロシア人の毛皮商人達と意思疎通が出来るようになって、彼らの船に乗せてもらえるようになる。
しかし、彼らの船が難破してしまってこの島を出られなくなってしまった。
ロシア人達はウォッカに溺れ自暴自棄になっていたが、光太夫は冷静に流木を見て考えた。
「これで、大きな船を作ろう」生き残った日本人達と船を作り始めた。
最初は馬鹿にしていたロシア人達も次第に協力しだし、2年経つとそれなりに大きな船が出来上がり、樺太のニジネカムチャックという町へ向かった。
町の役人では漂流民を故国へ帰す権限が無いため、総督がいるイルクーツクへ向かった。
しかし、どの国も役人はのらりくらりで埒があかないので、知り合った友人とともにサンクトペテルブルグの女帝エカテリーナ二世に直訴することになった。
最初は19名いた日本人もこの時には6人になっていた。
家一人は右足を凍傷で失い、もう一人はロシア人女性と恋に落ち帰化することを決心する。
そうそう、当時のロシアは漂流民には政府から生活費の支給があったらしい・・・
光太夫はロシア人達の支援や友情に支えられ、遂に女帝との謁見がかない女帝からの許しを得て、帰国出来ることとなった。
西田敏行演じる庄蔵は凍傷で片足を失っていたが、大黒屋光太夫より40年ほど前に津軽から流れてきた日本人との間に生まれたロシア人女性に助けられイルクーツクで日本語学校の教師となっていた。
年間銀300枚が死ぬまで支給されると言っていたので、それなり以上の生活が出来ることと思う・・・
さて、船に乗れたのは大黒屋光太夫含めて3名であったが、歴史で習った根村沖に現れたロシア船に乗っていたという・・・
しかしだ!!!ここからが、現代の日本と何も変わっていないのに、見ている私は憤慨した。
根室沖に停泊すると松前藩の役人がやってくるが、彼ら日本人が言った一言「漂流民は死罪である」である。
「ご苦労様です」とか「よくぞお戻りになった」等の言葉が無く「死罪」である。
ここから松前藩と幕府とやりとりだが、当時は老中松平定信であったが、国の政策の変化を好まずロシア船を長崎に回す代わりに大黒屋光太夫以下の上陸を許すこととなった。
その間数ヶ月、根室沖の船内で待たされている。
しかし、女帝の新書を持った使者を待たさせるあたりが、世間知らずの国らしい・・・
そうそう、何処ぞの馬鹿な国も日本の首相の親書を突き返したっけ・・・
これって、戦争行為に匹敵する侮辱であるのだが・・・
結局帰国したとき、一人が病死していた・・・
二人は江戸まで護送される。
罪人でも無いのにとうまる駕籠での護送だ!!!
二人はロシア語で話す。
「俺たちが何を悪いことした?」
「国に無いものを見たからだ。 古いことを変えたくないのだろう」
「アメリカやフランス革命のようなことを知ったから?」
「そうだ。 御上はそれがこわいのさ」
大黒屋光太夫は漂流してから帰国するまで、日記を付けていた。
異国で見聞きしたことを全て書いていた。これを役に立てくださいと役人に渡すが、さてどうなったか・・・?
こう考えると、「何が何でも生まれた国」ともう人間と「自分に合った国ならそこに住みたい」と思う人間に別れる。
まあ、私は後者なのだが・・・
結局、大黒屋光太夫は江戸へ送られ上様に拝謁を賜り、番町あたりに屋敷をもらったらしい・・・
しかし、大黒屋光太夫が流されてから230年余りが経っているが、日本の政府の考え方は何も変わっていない。
いいや社会の根底が変わっていないのだ。
日本人総愚民化計画の元、海外の斬新な考えからをする日本人はいらない・・・
「出る杭は打つ」これじゃあ世の仲良くなるはずが無い!!!
国民一人一人の幸せより、御上(無能議員や馬鹿官僚)が安泰が一番で既得権にどっぷりで改革など考えられないのだ!!!
まあ、このまま行ったら更に増税されその内若者は徴兵されるであろう・・・
それでも世界をしらない鎖国日本では、馬鹿マスコミの嘘を信じるしか無い可哀想な人達・・・
さて、私は高級品を買ったら消費税の返還手続きしよう


天は自ら助ける者を助ける"Fortes fortuna juvat"である。
誰も助けてくる無いから、自分自身で考えて動かねばならないのだ!!!
頑張れ!!!!
原作は井上靖氏で緒形拳主演で平成4年に映画が上映された。
まあ、ざっくり粗筋を書けば天明二年(1782年)に伊勢から江戸迄米を積んだ船が嵐に遭い8ヶ月漂流して北の果てのアムチトカ島に漂着する。
当時は帝政ロシア領だが現在はアメリカ合衆国アラスカ州である。
そこで、大黒屋光太夫以下乗組員はロシア語を覚え、ロシア人の毛皮商人達と意思疎通が出来るようになって、彼らの船に乗せてもらえるようになる。
しかし、彼らの船が難破してしまってこの島を出られなくなってしまった。
ロシア人達はウォッカに溺れ自暴自棄になっていたが、光太夫は冷静に流木を見て考えた。
「これで、大きな船を作ろう」生き残った日本人達と船を作り始めた。
最初は馬鹿にしていたロシア人達も次第に協力しだし、2年経つとそれなりに大きな船が出来上がり、樺太のニジネカムチャックという町へ向かった。
町の役人では漂流民を故国へ帰す権限が無いため、総督がいるイルクーツクへ向かった。
しかし、どの国も役人はのらりくらりで埒があかないので、知り合った友人とともにサンクトペテルブルグの女帝エカテリーナ二世に直訴することになった。
最初は19名いた日本人もこの時には6人になっていた。
家一人は右足を凍傷で失い、もう一人はロシア人女性と恋に落ち帰化することを決心する。
そうそう、当時のロシアは漂流民には政府から生活費の支給があったらしい・・・
光太夫はロシア人達の支援や友情に支えられ、遂に女帝との謁見がかない女帝からの許しを得て、帰国出来ることとなった。
西田敏行演じる庄蔵は凍傷で片足を失っていたが、大黒屋光太夫より40年ほど前に津軽から流れてきた日本人との間に生まれたロシア人女性に助けられイルクーツクで日本語学校の教師となっていた。
年間銀300枚が死ぬまで支給されると言っていたので、それなり以上の生活が出来ることと思う・・・
さて、船に乗れたのは大黒屋光太夫含めて3名であったが、歴史で習った根村沖に現れたロシア船に乗っていたという・・・
しかしだ!!!ここからが、現代の日本と何も変わっていないのに、見ている私は憤慨した。
根室沖に停泊すると松前藩の役人がやってくるが、彼ら日本人が言った一言「漂流民は死罪である」である。
「ご苦労様です」とか「よくぞお戻りになった」等の言葉が無く「死罪」である。
ここから松前藩と幕府とやりとりだが、当時は老中松平定信であったが、国の政策の変化を好まずロシア船を長崎に回す代わりに大黒屋光太夫以下の上陸を許すこととなった。
その間数ヶ月、根室沖の船内で待たされている。
しかし、女帝の新書を持った使者を待たさせるあたりが、世間知らずの国らしい・・・
そうそう、何処ぞの馬鹿な国も日本の首相の親書を突き返したっけ・・・
これって、戦争行為に匹敵する侮辱であるのだが・・・
結局帰国したとき、一人が病死していた・・・
二人は江戸まで護送される。
罪人でも無いのにとうまる駕籠での護送だ!!!
二人はロシア語で話す。
「俺たちが何を悪いことした?」
「国に無いものを見たからだ。 古いことを変えたくないのだろう」
「アメリカやフランス革命のようなことを知ったから?」
「そうだ。 御上はそれがこわいのさ」
大黒屋光太夫は漂流してから帰国するまで、日記を付けていた。
異国で見聞きしたことを全て書いていた。これを役に立てくださいと役人に渡すが、さてどうなったか・・・?
こう考えると、「何が何でも生まれた国」ともう人間と「自分に合った国ならそこに住みたい」と思う人間に別れる。
まあ、私は後者なのだが・・・
結局、大黒屋光太夫は江戸へ送られ上様に拝謁を賜り、番町あたりに屋敷をもらったらしい・・・
しかし、大黒屋光太夫が流されてから230年余りが経っているが、日本の政府の考え方は何も変わっていない。
いいや社会の根底が変わっていないのだ。
日本人総愚民化計画の元、海外の斬新な考えからをする日本人はいらない・・・
「出る杭は打つ」これじゃあ世の仲良くなるはずが無い!!!
国民一人一人の幸せより、御上(無能議員や馬鹿官僚)が安泰が一番で既得権にどっぷりで改革など考えられないのだ!!!
まあ、このまま行ったら更に増税されその内若者は徴兵されるであろう・・・
それでも世界をしらない鎖国日本では、馬鹿マスコミの嘘を信じるしか無い可哀想な人達・・・
さて、私は高級品を買ったら消費税の返還手続きしよう



天は自ら助ける者を助ける"Fortes fortuna juvat"である。
誰も助けてくる無いから、自分自身で考えて動かねばならないのだ!!!
頑張れ!!!!