老人と言うと、今では役立たずの、社会のゴミというイメージがする。
これは、私の意見で無く、実際の日本国政府が、お年寄りをそう扱っている。
美辞麗句を並べるが、やっていることを考えれば、ゴミ扱いだ。
戦後焼け野原から、働きづめで、世界最高峰の技術力、経済力をもった国に再生させた立役者が、リタイヤして、楽しい余生を過ごすはずであったが、その年金を馬鹿役人共が使い込み、事実上破綻させた。
長生きすることが、まるで悪のように、老人を巡る社会状況は、地獄そのものだ。
日本を再生させた人達が、この扱いならば、我々の世代や、それより若い役立たずの世代など、一体この先どう扱われるのか、考えただけで恐ろしい・・・
さて、この老人の"老"だが、辞書を引くと、1.年を取ってふける。おいる。古くなる。 2. 年寄り 3.物事に通じている年長者 4.長い経験を積んでいる。 5.年長者に対する総称 6.老人の自称 7.老子のこととなっている。
これを見ると、現代の使用は1と2である。
しかし、以前は、3以降であった。
詰まり、悪い意味で無く、知識人、知恵を持つ人とうである。
だから、江戸幕府の要職は、大老、老中、若年寄であり、各藩には、家老、中老とう"老"が、付くし、長老は、悪い意味で無く、村の長より偉い地位である。
時代劇で言うと、水戸黄門の"御老公様"である。
上様は、老体や御老体と呼ぶし、他は、御老公と呼ぶ。
これは、年寄りと馬鹿にしているのでは無く、尊敬の呼称であった。
元老院もそうであるが、古代ローマ帝国の皇帝の諮問機関としてあった。
余談だが、古代ローマでは、元老院の存在は法的に承認されたことは無かったが、慣例的に意思決定機関となっていた。
"Senate"が元老院で"Senator"は、元老院議員をいうが、ここアメリカでは、上院議員はSenatorである。
老人とは、"知恵ある人"が本来の意味であるが、昨今辺りを見回せば、馬鹿ばかりで、嘆かわしい・・・
確かに、最近の日本人は、世界一の長寿国となったことと引き替えに、皆幼児化が進んでしまった。
昔の20歳は大人であったが、今はガキである。
その証拠に、昔の映画を見れば分かる。
私がそれを感じたのは、石原裕次郎主演の"あいつとわたし"である。
舞台はとある大学の学生であるが、その言うことが、今の私から見ても大人びていて、世の中を何故こんなにめんどくさく、何事も理論立てて考えるんだ?と思うぐらいである。
確かに、昔の年から10歳~20歳引いてちょうどかも知れない。
私の知り合いの、ジジイ共も酷い!!!
「いい歳して、大人になれ」と40代の私が、60代のジジイ共を叱るのだから、情けないやら・・・
そう、人間、苦労して歳を取った奴など一人も居ないのだ!!!
20代のつもりで気が付けば40代的に、月日が過ぎる。
少年老い易く学成り難しとは、良く言ったものである。
だから、ジジイだからと言って、分別があると思ったら大間違い。
馬鹿は、何歳になっても愚か者である。
そして、歳のせいにして、頑固だの、老い先短いから好きにさせろとかいうが、ならば"今死ね"と言いたい!!!
頑固なのは、歳のせいで無く、愚か者だからである。
"君子豹変、小人革面"という格言がある。
これは、賢者とは、自分の間違いに気が付いたら、全てを、生き方から帰るが、愚者は表面だけ変えたふりをすると言うことである。
詰まり、偉大なる人とは、己の過ちに気が付けば、直ぐに正し、他人に対して潔く謝ることの出来る人である。
愚者は、過ちにすら気づかず、たとえ気づいたとしても、それを隠そうとして、人に謝らない。
だから、成長しないのだ。
過ちを犯さない人間は居ない。
その人の力量は、間違えを犯してしまったその後の対応の仕方で決まるのだ。
人間、死ぬまで勉強である。
これは、私の意見で無く、実際の日本国政府が、お年寄りをそう扱っている。
美辞麗句を並べるが、やっていることを考えれば、ゴミ扱いだ。
戦後焼け野原から、働きづめで、世界最高峰の技術力、経済力をもった国に再生させた立役者が、リタイヤして、楽しい余生を過ごすはずであったが、その年金を馬鹿役人共が使い込み、事実上破綻させた。
長生きすることが、まるで悪のように、老人を巡る社会状況は、地獄そのものだ。
日本を再生させた人達が、この扱いならば、我々の世代や、それより若い役立たずの世代など、一体この先どう扱われるのか、考えただけで恐ろしい・・・
さて、この老人の"老"だが、辞書を引くと、1.年を取ってふける。おいる。古くなる。 2. 年寄り 3.物事に通じている年長者 4.長い経験を積んでいる。 5.年長者に対する総称 6.老人の自称 7.老子のこととなっている。
これを見ると、現代の使用は1と2である。
しかし、以前は、3以降であった。
詰まり、悪い意味で無く、知識人、知恵を持つ人とうである。
だから、江戸幕府の要職は、大老、老中、若年寄であり、各藩には、家老、中老とう"老"が、付くし、長老は、悪い意味で無く、村の長より偉い地位である。
時代劇で言うと、水戸黄門の"御老公様"である。
上様は、老体や御老体と呼ぶし、他は、御老公と呼ぶ。
これは、年寄りと馬鹿にしているのでは無く、尊敬の呼称であった。
元老院もそうであるが、古代ローマ帝国の皇帝の諮問機関としてあった。
余談だが、古代ローマでは、元老院の存在は法的に承認されたことは無かったが、慣例的に意思決定機関となっていた。
"Senate"が元老院で"Senator"は、元老院議員をいうが、ここアメリカでは、上院議員はSenatorである。
老人とは、"知恵ある人"が本来の意味であるが、昨今辺りを見回せば、馬鹿ばかりで、嘆かわしい・・・
確かに、最近の日本人は、世界一の長寿国となったことと引き替えに、皆幼児化が進んでしまった。
昔の20歳は大人であったが、今はガキである。
その証拠に、昔の映画を見れば分かる。
私がそれを感じたのは、石原裕次郎主演の"あいつとわたし"である。
舞台はとある大学の学生であるが、その言うことが、今の私から見ても大人びていて、世の中を何故こんなにめんどくさく、何事も理論立てて考えるんだ?と思うぐらいである。
確かに、昔の年から10歳~20歳引いてちょうどかも知れない。
私の知り合いの、ジジイ共も酷い!!!
「いい歳して、大人になれ」と40代の私が、60代のジジイ共を叱るのだから、情けないやら・・・
そう、人間、苦労して歳を取った奴など一人も居ないのだ!!!
20代のつもりで気が付けば40代的に、月日が過ぎる。
少年老い易く学成り難しとは、良く言ったものである。
だから、ジジイだからと言って、分別があると思ったら大間違い。
馬鹿は、何歳になっても愚か者である。
そして、歳のせいにして、頑固だの、老い先短いから好きにさせろとかいうが、ならば"今死ね"と言いたい!!!
頑固なのは、歳のせいで無く、愚か者だからである。
"君子豹変、小人革面"という格言がある。
これは、賢者とは、自分の間違いに気が付いたら、全てを、生き方から帰るが、愚者は表面だけ変えたふりをすると言うことである。
詰まり、偉大なる人とは、己の過ちに気が付けば、直ぐに正し、他人に対して潔く謝ることの出来る人である。
愚者は、過ちにすら気づかず、たとえ気づいたとしても、それを隠そうとして、人に謝らない。
だから、成長しないのだ。
過ちを犯さない人間は居ない。
その人の力量は、間違えを犯してしまったその後の対応の仕方で決まるのだ。
人間、死ぬまで勉強である。