久しぶりに、"くれない族の反乱"を観た。
いや、大原麗子綺麗だった・・・

世間知らずの家庭の主婦が、家計の助けにと、デパ地下で働き出すことにより、視野が広がり、女性が自立していくことを描いている。

くれない族は、当時流行った言葉らしく「・・・してくれない」という不平不満を主婦が、亭主に持つ事を言ったらしい。

しかし、感じるのは、この時代って、主婦って奴隷か?ということである。

旦那にちゃんとした話し合いをしようとすると「疲れているから」とか「お前に何が分かるか」とか「こっちは朝から晩まで働いているんだ」とか全く人間として、人生のパートナーとして扱っていない。
挙げ句の果てに、大原麗子の旦那役加藤健一は、浮気がばれて、逆ギレするは、大原麗子をひっぱたくなど、男の私から見ても意味不明である。

まあ、田村正和も、息子と自分を捨てて出て行った妻永島暎子を殴っちゃう!!!
これで、彼女が荷物を持って出て行こうとすると、「チャット待って、話し合おう」である。
手を上げておいて、話し合いって、意味不明である。

奥さんが仕事から帰ってきて、旦那が妻に家事を強要するのって全く持って意味不明な行動である。

共働きであったら、家事も分担するのは当たり前である。

何かに付けては「俺が食わせてやってる」とまたまた意味不明な言!!!
家計が赤字と言うことは「あんたの稼ぎが足りないから、私が働いているんだろ!!! この甲斐性無し」ぐらい大原麗子も言うべきであるし、子供にも、きちんと説明すべきである。
「ママが働かないと、乞食になるの」ぐらいは必要である。

まあ、物語の進行上、売り場の上司の田村正和と大原麗子は、互いに惹かれ合い、何時しか結ばれてしまうのだが、その後がいけない。

普通、結ばれたら、直ぐにHしたくなるはずだが、それが無いし、フォローもない。

電話するなり・・・と言っても、携帯もLineも無い時代だから、色々と今とは違うかも知れないが・・・

暴力夫と何故、やり直さなければいけないのか?
それが時代なのであろうか?

それとも、惹かれ合った二人であったが、Hが合わなくて、萎んでしまったのか・・・

歳を取ってから、昔のドラマを観ると、色々と突っ込み処も満載で面白い。

いや、これだけは言えるが、昭和のドラマの方が数段上である。

これだけは言えるが、特に日本人に多いが、「全てを捨ててどこかでやり直したい」と思っても、それは夢で実際には出来ない。
まあ、大原麗子もそう言っていたが、これこそ、自分で自分を檻の中に入れている考え方である。

子供も育てる責任はあるが、先ず、自分が幸せか?が大切である。
なんと言っても、人生の主役は、誰でも無く自分自身である。

子供も、親が幸せで無ければ、居心地が悪いであろうし、不幸せにある。

馬鹿亭主を捨てて、新しい愛に満ちた生活を選んだとして、父親か母親を選ぶのは子供である。

子供は、親の所有物ではなく、一個の人間である。

乳飲み子は、人としてどうである?だが、ある程度自立できる歳ならば、自分の幸せを選ぶ当然の権利を知って欲しい。

さて、続きを観よう