今朝、たまたまBS103を観ていたら、会津藩主保科正之の事をやっていた。

いや、この人は、日本一の名君であったことは、間違いない!!!
民の幸せが無ければ、意味が無い的な思想の元、彼の藩政が進んでいく。

飢饉の時は、藩の米倉から民に米を貸し与え、豊作の時に利息2割を足して返せば良い。
正に、催促無しのあるとき払いである。

又、医療費は藩が持ち、90歳以上の年寄りには、扶持米を毎年支給したという。
それも、「本人が来れなければ、親戚、親族でも良い」である。
相手が殿様だし、ここまでしてくれれば、嘘をつく奴らは皆無であったのであろう・・・
今とは偉い違だ・・・
医療だが、何も藩内の領民に限ったことで無く、行商人や旅人も受けられたと言うから驚きである。

行商人を手厚く遇すれば、それの噂を聞いた新たな行商人が集まり、領内の商業活動の活発化も狙ったという・・・
そうそう、薬の行商といえば、越中富山が有名であるが、これも保科正之に由来している。
ある日、江戸城内で、保科正之が腹痛で苦しんでいると、越中の殿様が、自分の領内で作ったという薬を指しだしたという。
その薬を飲んだら、たちまち腹痛が治まり、「こんな良い薬ならば、日本国中に売るべし」となり、特別なお墨付きを与えたというのだ。

又、明暦の大火(振り袖火事ともいい八百屋お七の話が有名)のとき、外堀以内のほとんどを消失してしまうほどであったという。
この時、保科正之は、160万両を使って、街を再建すべきであると提案した。
当然、他の老中諸侯からは「それでは、御金蔵(国庫金)が空になってしまう」と反対したという。
「空で結構、こういうときに使うためのお金であって、使わないのならば、貯める意味もなし」と言ったという。
その時に、両国橋が作られたらしい・・・

3.11から2年以上が経っているのに、未だに何もしていないどこかの死に体政府と、無能政治家とは桁が違う!!!

会津藩開祖名君保科正之侯は、我が国の歴史上TOP3に入るぐらいの偉大な政治家である。
織田信長公、徳川家康公は、確かに偉大であるが、彼らはある意味、時代を壊し、時代を築いた偉大な政治家であるが、保科正之侯は時代なのかで改革を行ったと言う意味では、両公より大変であったことは言うまでも無い。

それまでの力で諸藩を押さえつけてきた政府の方針を、共存共栄へと大きく舵を取ったのも彼である。

そして、今の日本人が忘れている大切な事!!!
「駄目なものは駄目」である。

今の無能馬鹿政府は、明治維新から始まっているが、この明治政府を作ったのは、田舎者の薩摩、長州である。
薩長の最大の敵は、會津であった。
だから、奴らは會津をおとしめることに躍起となっている。
当然、名君保科正之侯の功績は、無かったものにしようとする歴史教育を行っている。

だが、番組で残念であったのは、幕末に京都守護職會津中将松平容保やその後の会津藩の破滅についてである。
「いや、時代の変化を読まないと・・・」的な、馬鹿な発言だ!!!
江戸時代の人たちが、江戸時代が終わるとは誰が思っていたか!!!である。
現に、今この最低最悪政府だって、いつまで持つか分からない。
江戸時代が終わり、明治時代が来ることは、我々は歴史から知っているだけで、当時を生きていた人々は夢にも思っていなかったはずだ!!

「民の幸せを第一に」という名君の思いが、現代は無い。
だが、その思いは、會津で若い世代に受け継がれている。

だが、この田舎者の作った政府は、未だに會津憎しで、福島県を初めとした東北の災害地の復興を邪魔しているとしか思えないのは、私の深読みであろうか?

だから、東北は、日本国から独立した方が良いのだ!!!