物騒なタイトルだが、これは映画のタイトルである。
松田優作が主演である。
粗筋は、長くなるので敢えて書かないが、もし興味があったら、調べてみて欲しい。
双子六兵衛(松田優作)は、福井藩の藩士で、武芸は何をやっても駄目で、大の犬嫌い、大の饅頭好きな変わった男である。
敵役は、仁藤昴軒(丹波哲郎)であり、彼は越前公に気に入られ、江戸で抱えた剣術指南役である。
福井に於いて、仁藤は家中の侍達を鍛え直していた。
なのに、福井藩の家中の反感を得て、ある日、闇討ちに遭う。
しかし、そこは、剣の達人の仁藤は、逆に闇討ちに来た侍5人を切ってしまうのだ。
「私は、今宵、北国街道を江戸に向かう。逃げも隠れもしない。追っ手を差し向けるならばご随意に」と言い放って、出奔して行くのだ。
しかし、よくよく考えてみれば、仁藤は夜逃げする必要が無い。
闇討ちに遭って、それも5人を返り討ちにしたのだから、目付役に事の顛末を届け出れば、何ら問題は無い。
遺族だって、自分たちの方が悪いのだから、"仇討ち"を願い出るわけにも行かない。
そう考えると、実は、山本周五郎って江戸時代のこと知らないのでは・・・と思ってしまう。
実は、司馬遼太郎も歴史小説とか書くわりには、江戸時代の事や、この国の"歴史"の本質を理解していない。
と言うより、不思議なのが、何故教科書に書かれている歴史に、疑問を持たなかったのか?である。
私は、小学校の頃に習った、日本史で既にいくつかの疑問があった。
学問の始まりは、「何でなの?」という疑問から始まる。
まあ、話は反れたが、結局、越前公が激昂して、「上意討ち」を命じたから騒ぎになる。
家中の誰もが仁藤の剣術の腕を知っているため、殺されるのが嫌だと言って、だれも仁藤を追って行きたがらないのだ。
その頃双子六兵衛は、妹が「もう18歳なのに、恋文すら貰ったことが無い。これは、兄上が家中で臆病者と名が知れ渡っているからです」と嘆いていた。
そこで、双子は、人生を顧みて、「このまま無駄に、年を取っていくのは嫌だ」と一念発起して自ら上意討ちを買って出るのだ。
しかし、剣の達人と武芸が駄目な奴が、真っ当に斬り合っても勝負は初めから見えている。
そこで、双子が考えたのは、剣での勝負で無く、別の方法であった。
「そいつは、人殺しだ!!!! 皆殺されるぞ!!!!」と仁藤の行く先々で触れて廻るのだ。
皆、「人殺し」と聞き、慌てて逃げ出していくのだ。
詰まり、仁藤は、宿屋にも泊まれず、食事も出来ずに精神的に参ってしまい、最期は、「俺は切腹する」と双子に告げるのだ。
双子は「この季節、貴方の首を持って帰っても、腐ってしまう。ならば、元結いをくれ。私が貴方に勝った証が欲しい」と言って、元結いを切って映画は終わるのだ。
しかし、ここまでやったら、凱旋までやって欲しかった。
そうそう、今回、この映画を観て、改めて考えさせられた。
人間、毎日が戦いだ。
ビジネスは、戦争と同じで、失敗すれば自殺する奴だって多い。
詰まり、ビジネスも喧嘩も、相手の有利な場所でするなである。
サラリーマン時代、3ヶ月の研修があり、出向したことがあったが、その係長が超馬鹿で、履き違えた奴であった。
こいつと喧嘩することを決めたが、その前に、本社で私を可愛がってくれている部長に相談した。
「喧嘩する限り、勝たねばならない。喧嘩するとき、場所、時、人を考えなさい」
とアドバイスをくれた。
場所とは、その喧嘩する場所が、どちらに有利かである。
又時とは、時が満ちているか、焦りは無いかを良く見極めよ。
そして、人とは、自分に賛同してくれる人がどの位居るかである。
まあ、喧嘩して叩きのめしてやったけど(殴り合いでは無いので!!!)、後で、専務に呼び出され、こっぴどく怒られ、部長にも「貴方の正確だから、絶対にやると思いましたけどね・・・」と言われたが、正義は我にあった!!!!
奴は「君は上流社会の人間、所詮俺は底辺の出なんだよ」と意味不明の捨て台詞を言って、地方へ飛んでいった!!!!
詰まり、相手と戦う場合、こちらに有利な戦い方をしろである。
双子は剣術が駄目だから、真っ当に斬り合えば、殺される。
だから、頭を使ったのだ。
「貴様、それでも武士か? 尋常に勝負しろ」と仁藤に怒鳴られても、お構いなしだ。
「お前、卑怯だぞ」と言われ、嫌悪感に襲われるが、だから取って、尋常に勝負したら、それは相手の土俵へ上がることになり、自分に不利である。
だから、卑怯と言われても、自分の土俵に相手を乗せる事が大切である。
実は、戦争もそうだが、戦いは始める前に勝敗は決まっているのだ。
いや、とにかく人生を考えさせてくる一本であった。
松田優作が主演である。
粗筋は、長くなるので敢えて書かないが、もし興味があったら、調べてみて欲しい。
双子六兵衛(松田優作)は、福井藩の藩士で、武芸は何をやっても駄目で、大の犬嫌い、大の饅頭好きな変わった男である。
敵役は、仁藤昴軒(丹波哲郎)であり、彼は越前公に気に入られ、江戸で抱えた剣術指南役である。
福井に於いて、仁藤は家中の侍達を鍛え直していた。
なのに、福井藩の家中の反感を得て、ある日、闇討ちに遭う。
しかし、そこは、剣の達人の仁藤は、逆に闇討ちに来た侍5人を切ってしまうのだ。
「私は、今宵、北国街道を江戸に向かう。逃げも隠れもしない。追っ手を差し向けるならばご随意に」と言い放って、出奔して行くのだ。
しかし、よくよく考えてみれば、仁藤は夜逃げする必要が無い。
闇討ちに遭って、それも5人を返り討ちにしたのだから、目付役に事の顛末を届け出れば、何ら問題は無い。
遺族だって、自分たちの方が悪いのだから、"仇討ち"を願い出るわけにも行かない。
そう考えると、実は、山本周五郎って江戸時代のこと知らないのでは・・・と思ってしまう。
実は、司馬遼太郎も歴史小説とか書くわりには、江戸時代の事や、この国の"歴史"の本質を理解していない。
と言うより、不思議なのが、何故教科書に書かれている歴史に、疑問を持たなかったのか?である。
私は、小学校の頃に習った、日本史で既にいくつかの疑問があった。
学問の始まりは、「何でなの?」という疑問から始まる。
まあ、話は反れたが、結局、越前公が激昂して、「上意討ち」を命じたから騒ぎになる。
家中の誰もが仁藤の剣術の腕を知っているため、殺されるのが嫌だと言って、だれも仁藤を追って行きたがらないのだ。
その頃双子六兵衛は、妹が「もう18歳なのに、恋文すら貰ったことが無い。これは、兄上が家中で臆病者と名が知れ渡っているからです」と嘆いていた。
そこで、双子は、人生を顧みて、「このまま無駄に、年を取っていくのは嫌だ」と一念発起して自ら上意討ちを買って出るのだ。
しかし、剣の達人と武芸が駄目な奴が、真っ当に斬り合っても勝負は初めから見えている。
そこで、双子が考えたのは、剣での勝負で無く、別の方法であった。
「そいつは、人殺しだ!!!! 皆殺されるぞ!!!!」と仁藤の行く先々で触れて廻るのだ。
皆、「人殺し」と聞き、慌てて逃げ出していくのだ。
詰まり、仁藤は、宿屋にも泊まれず、食事も出来ずに精神的に参ってしまい、最期は、「俺は切腹する」と双子に告げるのだ。
双子は「この季節、貴方の首を持って帰っても、腐ってしまう。ならば、元結いをくれ。私が貴方に勝った証が欲しい」と言って、元結いを切って映画は終わるのだ。
しかし、ここまでやったら、凱旋までやって欲しかった。
そうそう、今回、この映画を観て、改めて考えさせられた。
人間、毎日が戦いだ。
ビジネスは、戦争と同じで、失敗すれば自殺する奴だって多い。
詰まり、ビジネスも喧嘩も、相手の有利な場所でするなである。
サラリーマン時代、3ヶ月の研修があり、出向したことがあったが、その係長が超馬鹿で、履き違えた奴であった。
こいつと喧嘩することを決めたが、その前に、本社で私を可愛がってくれている部長に相談した。
「喧嘩する限り、勝たねばならない。喧嘩するとき、場所、時、人を考えなさい」
とアドバイスをくれた。
場所とは、その喧嘩する場所が、どちらに有利かである。
又時とは、時が満ちているか、焦りは無いかを良く見極めよ。
そして、人とは、自分に賛同してくれる人がどの位居るかである。
まあ、喧嘩して叩きのめしてやったけど(殴り合いでは無いので!!!)、後で、専務に呼び出され、こっぴどく怒られ、部長にも「貴方の正確だから、絶対にやると思いましたけどね・・・」と言われたが、正義は我にあった!!!!
奴は「君は上流社会の人間、所詮俺は底辺の出なんだよ」と意味不明の捨て台詞を言って、地方へ飛んでいった!!!!
詰まり、相手と戦う場合、こちらに有利な戦い方をしろである。
双子は剣術が駄目だから、真っ当に斬り合えば、殺される。
だから、頭を使ったのだ。
「貴様、それでも武士か? 尋常に勝負しろ」と仁藤に怒鳴られても、お構いなしだ。
「お前、卑怯だぞ」と言われ、嫌悪感に襲われるが、だから取って、尋常に勝負したら、それは相手の土俵へ上がることになり、自分に不利である。
だから、卑怯と言われても、自分の土俵に相手を乗せる事が大切である。
実は、戦争もそうだが、戦いは始める前に勝敗は決まっているのだ。
いや、とにかく人生を考えさせてくる一本であった。