関白太政大臣豊臣秀吉

"百姓から天下人になった男"と言われている。

ジムで、トレッドミルの上を歩いていると、色々考え事をする。
Hな事を考えると、あっと言う間に時間が過ぎるが、ある日、豊臣秀吉に付いて考察した。

彼は、本当に百姓の子であるのか?
百姓と言っても、ピラミッド階級がある。
庄屋様を筆頭に、水呑百姓まで身分が厳しく別れていた。

そもそも、地方農民は、平安時代後期から都を逃げ出した中途半端な貴族が纏め上げたのだ。

今も昔も腐った官僚共のやることは、1000年前と何も変わっていないのが、悲しいのだが・・・

朝廷で美味しい思いの出来るのは、藤原摂関家に産まれなければならない。
同じ藤原でも、摂関家から外れていれば、良い役職に就けないかったのだ。
こうなると、中央で拭けば飛ぶ役職に就くか、地方へ守(長官の意で、任期は1年だったらしい)として、腐っても鯛的に田舎者相手に面白く暮らすかである。

都で平でも、地方へ行けば、長官である。
この守の任期中に、公金で新田開発させて、任期明けに京へ帰らず、そのまま自分で耕した新田を横領してしまうのだ。
こうして、何年もすると、勢力争いになる。
そこで、農民から自警団を組織した。
これが、武士の始まりだ。

だから、中央でうだつの上がらない、平氏や源氏が地方へ散ったの頷ける。
因みに氏素性の氏とは、日本には4つしか存在しない。
平、源、橘、藤原である。
今でも、この内のどれかに、入らなければ、身分が低いと言う事になる。

まあ、そこで、戦国時代、単に水呑百姓の小倅が、何時産まれたとか、誰が調べていたんだ?状態である。

"松平元康が徳川家康である"説だって、山岡荘八の小説の中の話であるのだが、馬鹿な歴史学者は、小説が本当だと思っているから、笑えるのだが・・・

関白太政大臣になってから、秀吉の生まれは、天皇の御落胤を匂わす物を作らせたという。
そもそも、誰も豊臣秀吉の生まれや、幼少の頃も知らないし、"日吉"という幼名も作り話らしい・・・

でも、弟秀長(小一郎)は、秀吉と違い、学があるところをみると、百姓の出では無いと思う。

読み書き算盤は、江戸時代になって寺子屋制度が整備されてからのことで、100年に及ぶ戦国乱世の時代に、身分が無いと勉強はしなかったはずである。というより、食うのが精一杯で、勉強をしている暇は無かったのである。

日本人は、嘘の歴史を習っている。
戦国時代は、"群雄割拠していた"と習ったと思うが、群雄は割拠していなかった。

各大名は、自分の領地を死守することと、出来れば広げたいだけであり、天下統一など、真面目に考えたのは、織田信長だけであった。

武田信玄も長尾景虎も、天下統一など夢の又夢であったのだ。
もし、武田信玄が、本当に天下統一を考えていたとしたら、長尾景虎と無意味な川中島の戦いなどするわけが無い!!!!

又、兵の編成がそうだ。
どの大名も、兵隊の要の足軽は、百姓から徴兵しての編成であるから、田植え、稲刈りには戦が出来ず、農閑期のみの編成だ。

しかし、織田信長は、傭兵部隊(職業軍人)を作ったのだ。
これは、一年365日、24時間戦える体制を整えたのだ。これが、天下統一を考えている証である。

今川義元の上洛だって、京都へ行って、半年ぐらい滞在して帰ってくる予定であったに違いない。

足軽の百姓を駿河に帰さねば、稲刈りに支障をきたすからである。

実際に、豊臣秀吉の話は、出来過ぎていると思うし、何か秘密があると思えるのは、私だけだろうか?

確かに、学は無いが(秀吉の手紙は、ひらがなが多い)、戦のやり方など、勉強せねば出来ないと思える。

例えば、現在の士官学校で教えるのは、アレクサンダー大王、ハンニバル、スピキオ・アフリカーノス等の包囲殲滅作戦である。
確か、"カンネの戦い"だと思ったが、カルタゴ軍が、ローマ軍を包囲殲滅した大虐殺がそれである。

しかし、ジュリアス・シーザーの戦は、教える事が出来ない。
それは、彼が天才で有り、余りにも臨機応変に戦うから、方法論で学ぶことが出来ない。
何と言っても、ガリア最大の戦い"アレシアの戦い"で、カエサル率いるローマ軍4万が、ガリア兵32万に包囲されたが、勝ってしまうのだからね。

そう考えると、豊臣秀吉も天賦の才があった事は、確かである。

つづく