前回、現代日本も鎖国状態にあると書いた。
天正三年(1575年)に、世界でも例を見ない戦いがあった。
これが、世に言う"長篠の戦い"であり、織田、徳川連合軍が、武田の騎馬軍団を打ち破るという世界初の戦であった。
それまで、騎馬軍団を歩兵で勝てるはず無い!!!が世界の常識であったが、これを織田信長が根底から覆したのだ。
それは、通説3000丁という鉄砲の一斉射撃であった。
古今東西、それまで鉄砲は、一発勝負で、歩兵の援護的役割しか無く、それも3000丁を一度に用いた例が無いのだ。
しかし、現在の歴史的伝承(鉄砲三段討ち)と言われているが、それは嘘である。
何故か、鉄砲に火薬を詰め、弾を込め、狙いを定めて撃つまで数分はかかるし、三段では、間に合わない。
というより、私も射撃をするので分かるが、いきなり順番が来て、狙えと言われてもそれは出来ない。
相手は、騎馬軍団だ!!!
熊を撃つときだって、10数メートル向こうにいて打ち損じたら、次の瞬間、熊は目の前に居る!!!!
馬なら、もっと早いし、その瞬間、騎馬武者の槍で突かれてしまう!!!
ある人が、実験したらしいが、三段内の真実は、分業であったというのだ。
撃ち手、筒掃除、火薬込め、弾込めの係が、一班となり、一班に数丁の鉄砲が割り当てられた。
そうすれば、撃ち手は、撃った後直ぐに次の銃が手に来て、既に狙いを定めた敵を撃てる。
この方法であれば、絶え間なく、鉄砲を撃ち続けられるのだ。
まあ、射撃をしたことがある人間ならば、この説が正しいことが分かるはずだ。
では、何故鎖国と長篠の戦いが、関係しているかというと、織田信長は、世界の半分を手に入れる計画を立てていたらしい。
それは、当時、ローマ教会は、勢力拡大をもくろみ、スペインとポルトガルに勅令を与え、先ずキリスト今日を布教させてから、その国を乗っ取る作戦を採っていた。
それを知った信長は、スペインとポルトガルが世界の中を征服する前に、日本が何とかしなくては!!!!の使命感からか、日本全国統一した後、"明"を征服して、アジア全土を統一して、ヨーロッパ勢力に対抗しようとしていたらしい。
当時の日本の兵力ならば、夢物語でも無いかった。
鉄砲軍団は、世界最強であったのだ。
信長の夢は、本能寺で露と消えたが、豊臣秀吉に引き継がれた。
だから、朝鮮出兵があったのだが、ここで、無能日本考古学会は、"朝鮮出兵"は無謀だの、秀吉の頭がおかしいとか言っているが、秀吉は、信長の意志を継ごうとしたのである。
秀吉の目的は、朝鮮占領で無く、明(中国)征服であった。
その通り道が朝鮮半島であっただけで、あんなちんけな土地が目的ではなかった。
話が長くなったから、端折るが、"関ヶ原の戦い"に快勝した徳川軍団は、当時世界最強であった。
しかし、幕府は、世界征服より、国内充実政策を採り、江戸時代の日本文化爛熟を迎え、世界でも類を見ない平和と繁栄を約300年間もたらしたのだ。
幕末になると、その世界最強軍団と最新鋭の鉄砲は、すでに骨董となっていた。
そこで、幕府はヨーロッパ式軍隊編成を急ぎ、武器の近代化も急いだが、明治維新へと繋がり、数十年で、世界の列強と肩を並べるまでになった。
さて、本題だが、戦後の日本の平和は、インチキ憲法第9条があって、戦争を放棄し、核兵器も持たず、武器も輸出していなかったからだという奴らが多い。
それは、事実であろうか?
戦後、東西冷戦が始まり、日本は西側の一員として東側と対峙していた。
その頃は、アメリカ、ソ連の微妙な緊張感の中、それなりに世界中が纏まっていた。
しかし、東側の雄、ソビエト連邦が平成3年(1991年)に崩壊してしまうのと同時に、冷戦は終焉を迎えた。
この第三次世界大戦(核戦争)の緊張感が無くなると、膿が噴き出すように世界中の民族対立が始まり、テロという新たな脅威が産まれた。
しかし、この国は、鎖国状態であるから、未だに冷戦をしているのだ。
世界の現実を見ないで、夢の中を漂っている。
だから、進歩もしないで、バブル経済崩壊後も、空白のまま現在に至っているのだ。
日本を取り巻く環境も、冷戦時代は変わっているのに、そのままの感じで呑気な政府がある。
韓国も中国も良くも悪くも動いているのに、日本だけが止まっているのだ。
このままだと、あっと言う間に取り残され、気が付いたら、我が国の領土は、本州だけになっているかもしれない・・・
日本は、小さな島国でが、本当の領土(海洋も含む)は、世界6番目の広さを誇っている大国である。
その事を知る日本人は、少ない・・・
これで、いいのか?
天正三年(1575年)に、世界でも例を見ない戦いがあった。
これが、世に言う"長篠の戦い"であり、織田、徳川連合軍が、武田の騎馬軍団を打ち破るという世界初の戦であった。
それまで、騎馬軍団を歩兵で勝てるはず無い!!!が世界の常識であったが、これを織田信長が根底から覆したのだ。
それは、通説3000丁という鉄砲の一斉射撃であった。
古今東西、それまで鉄砲は、一発勝負で、歩兵の援護的役割しか無く、それも3000丁を一度に用いた例が無いのだ。
しかし、現在の歴史的伝承(鉄砲三段討ち)と言われているが、それは嘘である。
何故か、鉄砲に火薬を詰め、弾を込め、狙いを定めて撃つまで数分はかかるし、三段では、間に合わない。
というより、私も射撃をするので分かるが、いきなり順番が来て、狙えと言われてもそれは出来ない。
相手は、騎馬軍団だ!!!
熊を撃つときだって、10数メートル向こうにいて打ち損じたら、次の瞬間、熊は目の前に居る!!!!
馬なら、もっと早いし、その瞬間、騎馬武者の槍で突かれてしまう!!!
ある人が、実験したらしいが、三段内の真実は、分業であったというのだ。
撃ち手、筒掃除、火薬込め、弾込めの係が、一班となり、一班に数丁の鉄砲が割り当てられた。
そうすれば、撃ち手は、撃った後直ぐに次の銃が手に来て、既に狙いを定めた敵を撃てる。
この方法であれば、絶え間なく、鉄砲を撃ち続けられるのだ。
まあ、射撃をしたことがある人間ならば、この説が正しいことが分かるはずだ。
では、何故鎖国と長篠の戦いが、関係しているかというと、織田信長は、世界の半分を手に入れる計画を立てていたらしい。
それは、当時、ローマ教会は、勢力拡大をもくろみ、スペインとポルトガルに勅令を与え、先ずキリスト今日を布教させてから、その国を乗っ取る作戦を採っていた。
それを知った信長は、スペインとポルトガルが世界の中を征服する前に、日本が何とかしなくては!!!!の使命感からか、日本全国統一した後、"明"を征服して、アジア全土を統一して、ヨーロッパ勢力に対抗しようとしていたらしい。
当時の日本の兵力ならば、夢物語でも無いかった。
鉄砲軍団は、世界最強であったのだ。
信長の夢は、本能寺で露と消えたが、豊臣秀吉に引き継がれた。
だから、朝鮮出兵があったのだが、ここで、無能日本考古学会は、"朝鮮出兵"は無謀だの、秀吉の頭がおかしいとか言っているが、秀吉は、信長の意志を継ごうとしたのである。
秀吉の目的は、朝鮮占領で無く、明(中国)征服であった。
その通り道が朝鮮半島であっただけで、あんなちんけな土地が目的ではなかった。
話が長くなったから、端折るが、"関ヶ原の戦い"に快勝した徳川軍団は、当時世界最強であった。
しかし、幕府は、世界征服より、国内充実政策を採り、江戸時代の日本文化爛熟を迎え、世界でも類を見ない平和と繁栄を約300年間もたらしたのだ。
幕末になると、その世界最強軍団と最新鋭の鉄砲は、すでに骨董となっていた。
そこで、幕府はヨーロッパ式軍隊編成を急ぎ、武器の近代化も急いだが、明治維新へと繋がり、数十年で、世界の列強と肩を並べるまでになった。
さて、本題だが、戦後の日本の平和は、インチキ憲法第9条があって、戦争を放棄し、核兵器も持たず、武器も輸出していなかったからだという奴らが多い。
それは、事実であろうか?
戦後、東西冷戦が始まり、日本は西側の一員として東側と対峙していた。
その頃は、アメリカ、ソ連の微妙な緊張感の中、それなりに世界中が纏まっていた。
しかし、東側の雄、ソビエト連邦が平成3年(1991年)に崩壊してしまうのと同時に、冷戦は終焉を迎えた。
この第三次世界大戦(核戦争)の緊張感が無くなると、膿が噴き出すように世界中の民族対立が始まり、テロという新たな脅威が産まれた。
しかし、この国は、鎖国状態であるから、未だに冷戦をしているのだ。
世界の現実を見ないで、夢の中を漂っている。
だから、進歩もしないで、バブル経済崩壊後も、空白のまま現在に至っているのだ。
日本を取り巻く環境も、冷戦時代は変わっているのに、そのままの感じで呑気な政府がある。
韓国も中国も良くも悪くも動いているのに、日本だけが止まっているのだ。
このままだと、あっと言う間に取り残され、気が付いたら、我が国の領土は、本州だけになっているかもしれない・・・
日本は、小さな島国でが、本当の領土(海洋も含む)は、世界6番目の広さを誇っている大国である。
その事を知る日本人は、少ない・・・
これで、いいのか?