昨日、手塚治虫氏の"ブッダ"を見た。
話は、老師(ゴシャラ仙人)が行き倒れになったところから始まる。
彼を助けたのは、熊、虎、そして兎であった。
彼らは、老師への食べ物を集めに森に行った。
熊と、虎はそれぞれ集めてきたが、兎だけは、食べ物を持って来れなかった。
三匹は、老師に火を起こす様に促す。
すると、次の瞬間、兎は焚き火の中に飛び込み、自らを食べ物として老師に差し出したのだ。

御釈迦様自身も、御身を狼、次の世代で虎に捧げた。
これの話は自己犠牲の最たるものであるが、実際は、我々日々の生活で、口にしている肉類は、全て他の生き物の命の上に成り立っている事実を、我々は忘れていないか?

その場面を見ながら、私は合掌していた・・・

最近気が付いたのだが、仏教に於ける命とは、永遠不滅の魂であり、この身体は、単なる器である。
蚊も、ゴキブリも、鳥も植物も、この世の全てのものは、器であり、その器の優劣はあるが、魂は皆等しいのだ。

ブッダの中で、チャプラという奴隷出身だが、それを隠し釈迦国の隣国であるコーサラ国一番の勇者となり、将軍として釈迦国に攻め込むが、怪我を追ってしまう。

チャプラの母と僧侶(ナラダッタ)、そして友人のタッタ(動物に憑り移る能力を持っている)は、何とかチャプラを助けようとする。
医者はあと一日の命というのを漏れ聞き、ナラダッタは、師アシタ仙人ならば、彼を助ける方法を知っているに違いないと言うが、コーサラ国(現代のインドウッタル・プラデーシュ州東部)から、ヒマラヤ山中までどうやって行けるか?と絶望するが、チャプラは自分の能力を使えば、一日でヒマラヤのアシタ仙人の僧院に行けるという。

チャプラは馬に乗り移り、ナラダッタのしたためた書状をもって一路ヒマラヤに向かった。
しかし、途中馬も走りすぎて死に、次に豹に憑り移ったが、これも死に、次に鴨となり、満身創痍で僧院に着いた。
書状を読んだアシタ仙人は、岩壁に立ち、ナラダッタにテレパシーを送った。
「お前は、今まで何を学んで来たのだ? 一つの命を救うために、一体幾つの命を失ったのか!!!!」である。
ナラダッタは、罰として、気違いにされ、野山を獣のように彷徨うようにされた。

正にここである!!!
我々は傲慢にも、人間の命が他の生き物の命よりも尊いと勘違いをしている。

御仏から見れば、全ての命は等しく同じであるのだ。
詰まり、器の違いだが、魂は等しいのだ。

仏教が、他の宗教と違いのは、御釈迦様は、布教はされなかったのだ。
"仏の法(のり)"を説かれ、人が、生きとし生けるものがどう生きていくかの方法を説かれたのだ。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の様に、これをしたら天国、これをしたら地獄という教えが無い。

御釈迦様が、涅槃に入られた後、弟子達は、さぞ困ったことだろうと思う。
そこで、お釈迦様の尊い教えを聴いた者達が、人々を導くことを考えたのが、大乗仏教で、己が悟りを開いていないのに、他人を救えるか? 先ず己自身で修行しろと言ったのが、小乗仏教である。

金になるのは、大乗仏教である。
怠け者の一般人が、金を払って極楽に行けると思わせれば、金が入る。

小乗仏教は、助かりたければ、己で修行しろでは、金が集まらない・・・

まあ、御釈迦様の教えに近いのは、小乗仏教であろうと、最近私も思い始めている。

おっと、話が長くなった!!!
次回、地獄の絵図である。乞うご期待!!!!