虐めで、自殺した中学生事件で大騒ぎ!!!
これで、ハッキリしたのは、橋元大阪市長の言う通り、教育委員会は、無用の長物である。
そもそも、教育委員会は、戦後アメリカに押しつけられた、国家弱体計画の一つである。
もう一つ、ハッキリ書くが、「虐めは絶対に無くならない」のだ。
人間が、群れを作って生活して居る限り、虐めは必ずついて回る必要悪であるのだ。
動物の世界は、もっとハッキリしている。
虐めはその個体が死ぬまで続くのだ。
魚の世界ですら、虐めは存在するのだ。
水槽中では、それぞれの種類で群れている。
スズメダイの仲間は、綺麗で、安価であるので、水槽には無くてはならない存在であるが、此奴等結構仲間意識が強く、新しい個体を虐める。
死ぬまで皆で突っつき廻すのだ。
しかし、自分より身分の高いヤッコ類が来ると、何もしないのだ。
人間も群れを作る生き物であるから、虐めは付いて回るのだ。
これは、汚いが、どんな美人、美男でもウンコをするのと同じである。
綺麗な家を作っても、必ずトイレが必要なのと同じ、我々の生活と切り離せない問題である。
TVでは、「苛めがかくも特別である」的報道をしているが、苛めは我々の生活に驚くほど密着している。
人は3人集まれば、2対1になり、1は2に従わざるを得ない。
では、苛められる側には問題が無いのか?
ある知り合いの教師が言うに「この子、苛められる」と見た瞬間に分かるという。
かく言う私も、まあ、読者には薄々感ずかれているかも知れないが、いじめっ子である。
人を見た瞬間に、「いじめられっ子」が分かってしまうし、「いじめっ子」も反対に分かってしまうらしい。
もし、今回の自殺した奴の立場なら、"死"を覚悟した自体で、机を敵にぶん投げるか、家から日本刀を持ちだし斬り殺すか、理科室から硫酸を盗み、奴らにぶっかけてから死ぬだろう。
死を覚悟したら、憎き相手を道連れにするぐらいのことを考えねば・・・
と友人に話すと「だから、お前はいじめられっ子には、成らないんだ」と言われた。
結局、教育の現場が荒廃しているから、陰湿な苛めが横行するのだ。
「体罰無くして教育無し」である。
ガキは、人間では無い。単なる動物である。
その動物を、人間にしていくのが"教育"であると私は信じるし、そうあるべきである。
チャッピーも我が家に来たとき、"あま噛"みの限度を知らずに「痛い!!!」と思うぐらいの力で噛んでいた。
その度に「痛い」と言って"でこピン"をしていると、チャッピー自身もでこピンが痛いから、自ずと手加減を覚えていくのだ。
これが、教育で、両者が一緒に生活していく上で、大切なプロセスである。
私が中学生の頃、焼きを入れる「苛め」が流行った。
一人を皆でボコボコにするのだが、有る奴が病院運びになった。
次の日、教室に、担任と体育会の面々が、竹刀を持って現れた。
「お前等の間で、やっちまえとか言う遊びが流行っているだろう。今から禁止だ!!! 次にやっているのを見たら、俺たちでお前等をボコボコにするぞ」と皆で竹刀一撃!!!!
我々は、すくみ上がった!!!!
これが、教育であると思う・・・
良く男子達は、竹刀、出席簿、ピンタ、蹴りを食らってきたが、不思議と懐かしく思い出に残っている先生達である。
「切れる」、「逆ギレ」等の若者が増えている。
奴らを教育するには、どんなに切れようが、わめこうが、購えない力を知らしめることが肝要である。
詰まり、"徴兵制"だ。
相手は、国家権力、軍隊であるから、絶対に逆らえない。
最期は銃殺が待っているし・・・
しかし、苦しいからこそ、達成感も一入(ひとしお)だと思うし、仲間意識も産まれる。
しかし、「兵隊やくざ」を見ていても、大宮二等兵(勝新太郎)は、「こいつ生意気だ」と苛められている。
それを庇うのが有田上等兵(田村高廣)である。
娑婆でヤクザな大宮二等兵とエリート的有田上等兵の奇妙な友情が面白い。
苛めは、太古よりあるのだから、結局は我々の心の成長有ってこそ、必要である。
教育は、国の根幹であり、未来である。
それを忘れ、金儲けの道具としてきた社会への、天からの啓示では無いか?
これで、ハッキリしたのは、橋元大阪市長の言う通り、教育委員会は、無用の長物である。
そもそも、教育委員会は、戦後アメリカに押しつけられた、国家弱体計画の一つである。
もう一つ、ハッキリ書くが、「虐めは絶対に無くならない」のだ。
人間が、群れを作って生活して居る限り、虐めは必ずついて回る必要悪であるのだ。
動物の世界は、もっとハッキリしている。
虐めはその個体が死ぬまで続くのだ。
魚の世界ですら、虐めは存在するのだ。
水槽中では、それぞれの種類で群れている。
スズメダイの仲間は、綺麗で、安価であるので、水槽には無くてはならない存在であるが、此奴等結構仲間意識が強く、新しい個体を虐める。
死ぬまで皆で突っつき廻すのだ。
しかし、自分より身分の高いヤッコ類が来ると、何もしないのだ。
人間も群れを作る生き物であるから、虐めは付いて回るのだ。
これは、汚いが、どんな美人、美男でもウンコをするのと同じである。
綺麗な家を作っても、必ずトイレが必要なのと同じ、我々の生活と切り離せない問題である。
TVでは、「苛めがかくも特別である」的報道をしているが、苛めは我々の生活に驚くほど密着している。
人は3人集まれば、2対1になり、1は2に従わざるを得ない。
では、苛められる側には問題が無いのか?
ある知り合いの教師が言うに「この子、苛められる」と見た瞬間に分かるという。
かく言う私も、まあ、読者には薄々感ずかれているかも知れないが、いじめっ子である。
人を見た瞬間に、「いじめられっ子」が分かってしまうし、「いじめっ子」も反対に分かってしまうらしい。
もし、今回の自殺した奴の立場なら、"死"を覚悟した自体で、机を敵にぶん投げるか、家から日本刀を持ちだし斬り殺すか、理科室から硫酸を盗み、奴らにぶっかけてから死ぬだろう。
死を覚悟したら、憎き相手を道連れにするぐらいのことを考えねば・・・
と友人に話すと「だから、お前はいじめられっ子には、成らないんだ」と言われた。
結局、教育の現場が荒廃しているから、陰湿な苛めが横行するのだ。
「体罰無くして教育無し」である。
ガキは、人間では無い。単なる動物である。
その動物を、人間にしていくのが"教育"であると私は信じるし、そうあるべきである。
チャッピーも我が家に来たとき、"あま噛"みの限度を知らずに「痛い!!!」と思うぐらいの力で噛んでいた。
その度に「痛い」と言って"でこピン"をしていると、チャッピー自身もでこピンが痛いから、自ずと手加減を覚えていくのだ。
これが、教育で、両者が一緒に生活していく上で、大切なプロセスである。
私が中学生の頃、焼きを入れる「苛め」が流行った。
一人を皆でボコボコにするのだが、有る奴が病院運びになった。
次の日、教室に、担任と体育会の面々が、竹刀を持って現れた。
「お前等の間で、やっちまえとか言う遊びが流行っているだろう。今から禁止だ!!! 次にやっているのを見たら、俺たちでお前等をボコボコにするぞ」と皆で竹刀一撃!!!!
我々は、すくみ上がった!!!!
これが、教育であると思う・・・
良く男子達は、竹刀、出席簿、ピンタ、蹴りを食らってきたが、不思議と懐かしく思い出に残っている先生達である。
「切れる」、「逆ギレ」等の若者が増えている。
奴らを教育するには、どんなに切れようが、わめこうが、購えない力を知らしめることが肝要である。
詰まり、"徴兵制"だ。
相手は、国家権力、軍隊であるから、絶対に逆らえない。
最期は銃殺が待っているし・・・
しかし、苦しいからこそ、達成感も一入(ひとしお)だと思うし、仲間意識も産まれる。
しかし、「兵隊やくざ」を見ていても、大宮二等兵(勝新太郎)は、「こいつ生意気だ」と苛められている。
それを庇うのが有田上等兵(田村高廣)である。
娑婆でヤクザな大宮二等兵とエリート的有田上等兵の奇妙な友情が面白い。
苛めは、太古よりあるのだから、結局は我々の心の成長有ってこそ、必要である。
教育は、国の根幹であり、未来である。
それを忘れ、金儲けの道具としてきた社会への、天からの啓示では無いか?