九州地方に停滞した梅雨前線により、九州各地で大変な騒ぎになっている。

しかし、昔から九州ってこの季節にも、台風シーズンにもいつも大変な被害がでいる。

だから、邪馬台国も九州から大和の地へ移ったのだろう。
そうそう、邪馬台国は、馬鹿な中国人(今の中国という概念で無く、三国志に出てくる魏の人)が、"魏志倭人伝"に書いたことに始まっているが、日本の馬鹿学者は、これが何処にあったかと大騒ぎしている。
九州説と畿内説があるというが、魏志倭人伝の頃と言えば、西暦280年頃に女王の治める"邪馬台国"が出てきて、その北側には対馬国とか色々出てくるらしいが、それから読み取れるのは、当時の日本は都市国家のような感じで、統一国家ではなかったらしい。

まあ、当時の中華(華の中心という意味らしい・・・)は、ローマ帝国と並ぶ超文明国で、そこから日本を見たら、今の我々がアマゾンの奥地や、パプアニューギニアのジャングルの中の部族のようなものであり、果たして探検家で無い作者が行ったかどうかは、不明らしい。
人づてに「女王の治める邪馬台国という国がある」と訊いたのをメモした程度だったのが真実らしい。

ここで、凄いのが"邪馬台国"という漢字は、当時の中華の人間が"、その聞いた名前に"当て字"をしただけである。
蛮族だから、卑しい字を敢えて当てたというのだ。
これを、古代中国語でとなんと「やまど」と発音するというのだ。
つまり、我々の「やまと」である。邪馬台国とは「やまどのくに」という事である。

そして、女王"卑弥呼"も馬鹿中華が当てた当て字であるので、我々大和民族的な字を当てれば、"日皇子"か、"日巫女"、"日神子"、"日御子"のどれかであろう。
彼女こそが、我らが神"天照大神"である。
その後の事は、神話"古事記"を読む必要がある。
この中に、大和国の史実が隠されている。

そうそう今日のお題は日田であったが、日田は今では大分県であり、昔は豊後国である。
実は、ここにある宇佐神宮こそが、邪馬台国があった地である。
そして天皇の発祥の地であることは、実は分かっているのだ。
その事は、色々と本にもなっているので一読をお勧めするが、近々端折って、ここでロマンとして発表予定にします。

そうそう、日田である。
今ニュースで観る限り、超ど田舎であるが、江戸時代は、ここに郡代所があって、幕府の九州の中心であったらしい。

そして、実はここは当時の日本の金融の中心地で、日田金山とも呼ばれ、江戸、大坂より大量の金が流れ込み、各大名家
の出先機関や、商人の倉が建ち並び、料亭、芸者で溢れかえっていたらしい。
その賑わいは、江戸、大坂にも負けていなかったというのだ。

ああ、今では見る影も無いが・・・

では、何故そうだったのか?

当時、何処の大名家も赤字続きで、商人からの借り入れで財政を賄っていた。(おいおい、何処かで訊いたような話じゃ無いか・・・)
しかし、武士と商人とでは、当然身分が違う。
腐っても鯛(日本人の好きな言葉・・・)であるし、為政者だから、当然最期は、貸し倒れになる危険性があった。

しかし、日田はそのシステムが違った。
幕府の公金は、地元の商人共に管理させていた。
詰まり、この日田の地から大名家に貸し付けた金は、幕府の金である(金に名前が書いていないから・・・)から、大名家は絶対に返済せねばならなかった。
日田から貸し出した金は、絶対に貸し倒れの無いのだ。

そうなると、日本中から金が流れ込むのは、自然の摂理である。
今も昔も人間のやることは変わりが無いのだ。
幕府も潤い、商人達も潤う仕組みが、日田金山の由来である。

九州の皆さん、宇佐神宮に行って神々に祈って下さい。
人間、最期は信心の差で、生死、幸福、不幸せが決まるらしい。
信心、信心、合掌・・・