昨日、最高裁で光市母子殺人事件の犯人大月孝行の死刑が確定した。
被害者の夫であり父親である本村洋さんの苦労も、大変であったことは想像に難くない。
しかし、屍姦したり、生後11ヶ月の幼女を床に叩き付けて殺して、押し入れに入れたのは、ドラえもんが何とかしてくるともったとか、あの弁護士安田好弘は馬鹿か!!!
安田の妻子供が、殺されても「ドラえもんが何とかしてくる」と犯人が言ったら、奴は許すのであろうか?
又、馬鹿な最高裁裁判官宮川光治は「被告の精神的成熟度が18歳未満かもしれないから死刑回避」という。
だったら、世の中の「脳タリン」の額に「私は脳タリン殺人犯」的なものを入れ墨しろ!!!と言いたい。
我々は、会ったその人が、まさか脳タリンだとは思ってもみない。
本村氏の言う通り、被害者の権利こそ守られるべきである。
詰まり、同じ罪は野球と同じに3アウトで、詐欺で3回捕まった奴は、額に「詐」の時を江戸時代のように入れ墨してやれば良いのだ。
そうすれば、そいつに騙される新たな被害者がいなくなる。
万引きもそうである。
日本の刑罰は、甘すぎるのだ。
万引き、痴漢も3アウトで、3回目にGPS付きチップを身体に埋め込み、そいつらが店や電車に乗ったら、注意を促すアナウンスが流れるようにすれば良いのだ。
「この車両に性的犯罪者が乗っております。ご注意下さい♬」・「只今、万引き常習者がおります。ご注意下さい♬」という具合だ。
まあ、個人を特定する必要は無いと思うが、それぐらいの罰を与えるのと同時に、新たなる被害者を出さないことが重要である。
特に殺人がそうだ。
但し、殺人にも種類がある。
不可抗力、正当防衛、事故、殺す気満々、強盗殺人である。
良くニュースで言っているが「殺意」が、本当に刑罰を与えるのに必要であろうか?
例えば、強盗殺人の場合、金庫を開けようとしている窃盗犯が、警備員に見つかり、犯罪が露見するのを防ぐために殺すわけだが、この時、窃盗犯に警備員を殺したときの「殺意の有無」など、争点になることがおかしい。
刑法では、強盗殺人は死刑となっているのに、何故法律通りで無く、無期懲役にしようとする法曹界の勝手な思惑が、重犯罪増加の温床になっているのだ。
「一罰百戒」という格言をこの国の司法も国民も忘れている気がする。
一度、人を殺した(故意に)人間を、更生させる必要があるのか?
又、万が一、更生したはずの人間が、再び同じ罪を犯した場合、一体誰が責任を取るのであろうか?
アガサ・クリスティのエルキュール・ポアロが言った台詞がある。
「一度人を殺した人間は、障害を排除するのに、殺人という手段を容易に用いるものである」
意味が深い・・・
戦国時代、今から500年位前の日本では、戦への初陣は11歳か12歳であった。
この年でも人を刺し、首を切り落としていたのだ。
少年でも人を殺せることを忘れてはいけないし「人を殺してはいけない」これは、我々社会の最低限のルールである。
これの禁を犯した者が、たとえ何歳であろうと、排除せねばならない。
だからこそ「殺人・強盗・強姦」の罪は、少年法の適用外とすれば良いだけである。
12歳であろうと40歳であうと、殺された被害者にすれば同じである。
最期に、本村洋さんが、又人を愛し、幸せな家庭を持つことが出来るように、影ながら祈りたい・・・
被害者の夫であり父親である本村洋さんの苦労も、大変であったことは想像に難くない。
しかし、屍姦したり、生後11ヶ月の幼女を床に叩き付けて殺して、押し入れに入れたのは、ドラえもんが何とかしてくるともったとか、あの弁護士安田好弘は馬鹿か!!!
安田の妻子供が、殺されても「ドラえもんが何とかしてくる」と犯人が言ったら、奴は許すのであろうか?
又、馬鹿な最高裁裁判官宮川光治は「被告の精神的成熟度が18歳未満かもしれないから死刑回避」という。
だったら、世の中の「脳タリン」の額に「私は脳タリン殺人犯」的なものを入れ墨しろ!!!と言いたい。
我々は、会ったその人が、まさか脳タリンだとは思ってもみない。
本村氏の言う通り、被害者の権利こそ守られるべきである。
詰まり、同じ罪は野球と同じに3アウトで、詐欺で3回捕まった奴は、額に「詐」の時を江戸時代のように入れ墨してやれば良いのだ。
そうすれば、そいつに騙される新たな被害者がいなくなる。
万引きもそうである。
日本の刑罰は、甘すぎるのだ。
万引き、痴漢も3アウトで、3回目にGPS付きチップを身体に埋め込み、そいつらが店や電車に乗ったら、注意を促すアナウンスが流れるようにすれば良いのだ。
「この車両に性的犯罪者が乗っております。ご注意下さい♬」・「只今、万引き常習者がおります。ご注意下さい♬」という具合だ。
まあ、個人を特定する必要は無いと思うが、それぐらいの罰を与えるのと同時に、新たなる被害者を出さないことが重要である。
特に殺人がそうだ。
但し、殺人にも種類がある。
不可抗力、正当防衛、事故、殺す気満々、強盗殺人である。
良くニュースで言っているが「殺意」が、本当に刑罰を与えるのに必要であろうか?
例えば、強盗殺人の場合、金庫を開けようとしている窃盗犯が、警備員に見つかり、犯罪が露見するのを防ぐために殺すわけだが、この時、窃盗犯に警備員を殺したときの「殺意の有無」など、争点になることがおかしい。
刑法では、強盗殺人は死刑となっているのに、何故法律通りで無く、無期懲役にしようとする法曹界の勝手な思惑が、重犯罪増加の温床になっているのだ。
「一罰百戒」という格言をこの国の司法も国民も忘れている気がする。
一度、人を殺した(故意に)人間を、更生させる必要があるのか?
又、万が一、更生したはずの人間が、再び同じ罪を犯した場合、一体誰が責任を取るのであろうか?
アガサ・クリスティのエルキュール・ポアロが言った台詞がある。
「一度人を殺した人間は、障害を排除するのに、殺人という手段を容易に用いるものである」
意味が深い・・・
戦国時代、今から500年位前の日本では、戦への初陣は11歳か12歳であった。
この年でも人を刺し、首を切り落としていたのだ。
少年でも人を殺せることを忘れてはいけないし「人を殺してはいけない」これは、我々社会の最低限のルールである。
これの禁を犯した者が、たとえ何歳であろうと、排除せねばならない。
だからこそ「殺人・強盗・強姦」の罪は、少年法の適用外とすれば良いだけである。
12歳であろうと40歳であうと、殺された被害者にすれば同じである。
最期に、本村洋さんが、又人を愛し、幸せな家庭を持つことが出来るように、影ながら祈りたい・・・