いよいよ12月14日が明日となった。
大石内蔵助は、どうして幕府に御家再興の嘆願書を出し続けたのか?
それまで、御家御取り潰しになって、再興した事はなかったにもかかわらず、大石が嘆願書を出した理由があるはずだ。
しかし、映画等ではその理由が明らかで無い。
昔読んだ本があるが、人に貸したらそのまま戻ってこないままに、誰に貸したか分からなくなった。
その本によると、大石は主君内匠頭が、精神を病んでいた事を当然知っており、幕閣の方々もご存じであるのだから、喧嘩で無く乱心として処理してくれると信じていたという。
確かに、そう考えると、全ての点と点が線になるのだ。
もしかすると「殿様押し込め」の相談をした可能性もある。
大石の最大の失態は、接待役を仰せつかった折に、病気を理由に辞退去れば良かったのだ。
そして、病を理由に隠居させ、弟大学を持って家督相続の儀を願い出れば、全ては丸く収まったはずだ。
にも関わらず、浅野家再興は、儚くも露と消えた。
内匠頭切腹を処断したのは、公方綱吉であるため、老中方としても、上様への遠慮もあって、そのままの処断としたようである。
ここで、誤解無いように書くが、公方綱吉は、内匠頭自身が「私は正気であり、決して乱心では無く、意趣遺恨のある喧嘩である」と言い張ったので、切腹、御家断絶の沙汰を下したのだ。
それに、一年以上前の事件を今更蒸し返すのも、面倒だったのかもしれない。
現に、現在の無能最高裁を初め、平民の馬鹿裁判官ですら、新たな証拠が出たにも関わらず、再審のを命じること無く、足利事件の菅野さんを十年以上も苦しめたのに、誰も責任をとらないのを見ていれば、当時、日本の最高権力者である公方様なら余計「身分の卑しい大名ごとき・・・」があっても不思議で無いのではないか?
大石内蔵助を初めとした義士と言われた47人は、一体この裁決をどう受け止めたのであろうか?
結局、内匠頭の弟大学は、本家芸州浅野家御預けとなったのである。
これは、播州浅野家再興は、絶対に無いことを意味した。
では、大石はどう出るか?
やはり「一寸の虫にも五分の魂」を、幕府の御歴々に見せつける、詰まり「武士の意地」を見せることにしたらしい。
法的解釈は「乱心であった内匠頭の処分が、御身切腹だけの筈が、御家断絶は無いであろう。もし、幕府の裁定通り、喧嘩として処分したのであれば、我々は法的に、喧嘩の相手を主君の敵として仇討ちするのは権利である」という論調であろう。
そう考えると、何もしていないのに、大切な日に、いきなり部下に切りつけられ、身も心も弱っているのに、命まで狙われた、吉良上野介義央殿は、正に不運の人である。
それに、400年位経っているのに、日本人は「吉良上野介は極悪非道だ」と思われ続けている。
「死んでも死にきれぬ」とは、このことである!!!
つづく
大石内蔵助は、どうして幕府に御家再興の嘆願書を出し続けたのか?
それまで、御家御取り潰しになって、再興した事はなかったにもかかわらず、大石が嘆願書を出した理由があるはずだ。
しかし、映画等ではその理由が明らかで無い。
昔読んだ本があるが、人に貸したらそのまま戻ってこないままに、誰に貸したか分からなくなった。
その本によると、大石は主君内匠頭が、精神を病んでいた事を当然知っており、幕閣の方々もご存じであるのだから、喧嘩で無く乱心として処理してくれると信じていたという。
確かに、そう考えると、全ての点と点が線になるのだ。
もしかすると「殿様押し込め」の相談をした可能性もある。
大石の最大の失態は、接待役を仰せつかった折に、病気を理由に辞退去れば良かったのだ。
そして、病を理由に隠居させ、弟大学を持って家督相続の儀を願い出れば、全ては丸く収まったはずだ。
にも関わらず、浅野家再興は、儚くも露と消えた。
内匠頭切腹を処断したのは、公方綱吉であるため、老中方としても、上様への遠慮もあって、そのままの処断としたようである。
ここで、誤解無いように書くが、公方綱吉は、内匠頭自身が「私は正気であり、決して乱心では無く、意趣遺恨のある喧嘩である」と言い張ったので、切腹、御家断絶の沙汰を下したのだ。
それに、一年以上前の事件を今更蒸し返すのも、面倒だったのかもしれない。
現に、現在の無能最高裁を初め、平民の馬鹿裁判官ですら、新たな証拠が出たにも関わらず、再審のを命じること無く、足利事件の菅野さんを十年以上も苦しめたのに、誰も責任をとらないのを見ていれば、当時、日本の最高権力者である公方様なら余計「身分の卑しい大名ごとき・・・」があっても不思議で無いのではないか?
大石内蔵助を初めとした義士と言われた47人は、一体この裁決をどう受け止めたのであろうか?
結局、内匠頭の弟大学は、本家芸州浅野家御預けとなったのである。
これは、播州浅野家再興は、絶対に無いことを意味した。
では、大石はどう出るか?
やはり「一寸の虫にも五分の魂」を、幕府の御歴々に見せつける、詰まり「武士の意地」を見せることにしたらしい。
法的解釈は「乱心であった内匠頭の処分が、御身切腹だけの筈が、御家断絶は無いであろう。もし、幕府の裁定通り、喧嘩として処分したのであれば、我々は法的に、喧嘩の相手を主君の敵として仇討ちするのは権利である」という論調であろう。
そう考えると、何もしていないのに、大切な日に、いきなり部下に切りつけられ、身も心も弱っているのに、命まで狙われた、吉良上野介義央殿は、正に不運の人である。
それに、400年位経っているのに、日本人は「吉良上野介は極悪非道だ」と思われ続けている。
「死んでも死にきれぬ」とは、このことである!!!
つづく