元禄14年3月14日、巳の刻に事件は起きた。
何を思ったか、殿中松の廊下で、赤穂藩主浅野内匠頭
長矩が、高家衆筆頭吉良上野介義央に、短刀でいきなり切りつけたのだ。

と、ここで自分に置き換えて考えてみよう。
自分が、大役を任されていて、仮に嫌がらせを受けてとして、事もあろうに重要な仕事の最中に上司を切りつけるであろうか?
当然、内匠頭自身、殿中で短刀を抜いたら、切腹であることは百も承知でである。
又、乱心なら切腹で済むが、意趣遺恨による刃傷沙汰だと、御家取り潰しになることも承知している筈だ。

それでも尚、どうして殿中で切りつけたのか?

忠臣蔵の話によると「武士の意地」とかに成っているが、馬鹿殿の馬鹿な意地で、路頭に迷う何百という家臣のことを考えれば、こんな私ですら「乱心しました」と言うであろう。

何かの本で読んだが、浅野家取り潰しと聞いて、領民達は狂喜乱舞して赤飯を炊いて喜んだという。
浅野家が断絶すれば、浅野家の借金もチャラになるから、領民は重税から解放されることになるからだ。
この事は当時の文献にちゃんと書かれているらしいから、興味がある人は調べてみると良い。

今で言えば、天皇陛下主催のG8首脳を招いての晩餐会で、外務省の接待役の政務次官が、宮内庁長官に斬りかかるようなものである。
そうなったら、日本の面目丸潰れである。
国民からしても、此奴の死刑は当然である。
陛下の顔に泥を塗ると言うことは、我々国民に唾を吐き付けたのと等しいからである。

どのような理由があろうと、浅野内匠頭は我慢しなければ成らなかった。
では、何故切りつけてしまったのか?

これもある本に書いてあったが、①重要な儀礼中に上司に斬りかかった ②即日切腹であったが、田村右京太夫の屋敷にて、最後の晩餐で茶漬けをお代わりしている ③切腹直前に茶を飲みながらタバコを旨そうに吸っていた
以上のことから考えても、精神異常としか考えられない。
もし、貴方なら、死刑執行前に、上記のような事が出来るであろうか?
普通の人なら、食事など喉を通らない。
詰まり、自分のしでかした事を理解していない。
今で言えば、精神薄弱状態であったので、刑事責任を問えない事案である。
しかし、江戸時代は厳しい!!!
でも、それが当たり前である。
精神薄弱なら何をしても良いのか?人を殺しても良いのか?そんな奴を生かしておく必要があるのか?と問いたい!!!
我々の回りに知らず知らずにそんな奴らが居ると思うと、安心して日常生活を送れないではないか?

それでも、江戸時代の情状酌量は、御身は切腹でも藩は残してやると幕府が言ってやってるのに、馬鹿殿は「いいや喧嘩であるので、藩取りつぶしもやも無し」と言っちゃてんだよ!!!
信じられる?
家臣老若男女合わせれば、千人以上の人生を狂わせた、希代な馬鹿殿であると言わざるおえない。

そして、忠臣の誉れ高い大石内蔵助も、とんだ昼行灯(役立たず)である。
大石家は、代々家老の家柄で、大石家の第一の責務は、浅野家存続である。
これからすると、大石内蔵助は大チョンボをしてしまったのだ。
大石内蔵助の仕事は、馬鹿殿浅野内匠頭と差し違えてでも、藩を守ることであった。
事実、彼の任務は、浅野内匠頭長矩の命よりも浅野家の方を守ることである。
だから、長矩の弟を擁立すべきであった。

これは、一般には知られていないが、日本には恐ろしいシステムが連綿と続いているのだ。
それが「殿様押し込め」である。
これは、家臣の言うことを聞かない主君を、座敷牢に皆で押し込めて、自分たちの言うことを聞いてくれる主君を擁立することである。
だから、日本には古来より金正日みないな気違い独裁者が存在しなかったのだ。
事実、江戸時代も法的には完全に違法行為であるが、これで藩内がまとまればということで、幕府は見て見ぬふりをしてきたらしい。
これを理解できれば、昭和天皇の太平洋戦争に於ける、戦争責任を問えないことが分かるのだ。
当時、政界は帝国陸軍に牛耳られており、軍部は天皇に戦争開戦の勅命を迫った。
陛下は最期まで反対なされたが、軍部のクーデターを察知され、断腸の思いで戦争開始の勅命にサインされたのである。
軍部のクーデターとは、昭和天皇を御退位させ、秩父宮様を天皇へとうものであった。
後日陛下は、側近にどうして戦争をお認めに成られたのか?と言う質問に応えられた。
「朕が退位させられたら、誰が戦を止めさせるのか」
日本国民は、昭和天皇の事を知らなすぎる。

大石内蔵助最大のミスは、長矩を押し込めない事であった。

つづく